乳がんの再発を予防するために、抗がん剤治療をすべきかどうか──。この重要な判断を後押ししてくれるのが、がん細胞の遺伝子を解析する「多遺伝子検査」です。そもそも、乳がんの治療はどのように進むのか。多遺伝子検査によってわかることは。費用面でのメリットは。難治性がんや希少がんも含め、先進的で高度ながん医療を提供している大阪国際がんセンターの中山貴寛先生に話を聞きました。

日本人女性が「最もかかりやすい」がん

──まず、乳がんにかかる人の数や生存率について教えてください。

日本では、毎年約9万8800人の女性が新たに乳がんと診断されています。これは、「約9人に1人」の女性が生涯で乳がんに罹患(りかん)するという計算になります。部位別の罹患数は第1位で、「日本人女性が最もかかりやすいがん」となっています(※1)。

一方で、部位別の死亡数は第5位に後退し(※2)、5年生存率はどのステージでも改善しています(※3)。この理由は、早期発見によって早期治療ができるようになったこと、さらに薬剤の進歩によって再発が減っているという点が大きいでしょう。乳がんは、「かかりやすい病気」であると同時に、適切な治療を受ければ「治りやすい病気」になりつつあるといえるのです。

エグザクトサイエンス・表:乳がんの進行度別「5年生存率」の推移
出所:全国がん罹患モニタリング集計2009-2011年生存率報告(国立研究開発法人国立がん研究センターがん対策情報センター,2020)、独立行政法人国立がん研究センターがん研究開発費「地域がん登録精度向上と活用に関する研究」平成22年度報告書 より作成

──乳がんと診断された場合、治療はどのような流れで進むのでしょうか。

乳がんの確定診断がされると、まず精密な治療前検査が行われます。マンモグラフィや超音波検査(エコー)、乳房MRI、CTなどで、乳房内のがんの広がりや転移の有無を調べ、ステージを判定。細胞診や針生検などの病理検査で、がんの診断を行います。さらに針生検では、がん細胞の悪性度やがんの性質(サブタイプ)を判定します。

乳がんは4つの「サブタイプ」(後述)に分類され、それぞれのタイプに適した治療法や薬剤が選択されます。治療の流れは大まかに二つに分けられ、一つは、乳房のがんを取り除く手術を先行して行うケース。もう一つは、抗がん剤投与ののちに手術を実施するケースです。

どちらの方法でも、術後は、病理の結果をもとにした再発予防治療へと進みます。がんの性質に合わせて、放射線治療や薬物療法(化学療法〈いわゆる、抗がん剤〉、ホルモン療法など)が行われるのです。

エグザクトサイエンス・表:乳がんの治療の流れ

「再発予防」の治療が重要な理由とは

──手術で乳房のがんを取りきった場合でも、放射線治療や薬物療法が必要なのですか。

乳がんというと、皆さんは乳房のしこりだけを思い浮かべるでしょう。しかし我々医師は、たとえ初期であっても「乳がん=全身病」であると捉えます。乳がんのがん細胞は、血液などの流れに乗って、骨や肝臓、肺、脳など全身の様々な臓器に転移しやすいのが特徴です。乳がんに罹患した時点で、微小な病変が全身に広がっている(微小転移)可能性があるのです。

この微小転移を放置してしまうと、やがてがん細胞が増殖し、再発する可能性があります。そこで、乳房のがんの切除後に薬物療法を行って、微小転移の根絶を目指すのです。

──乳がんの治療は、将来的な再発を防ぐまでが大事なのですね。

時折、「再発したらその時に治療をすればいいのでは?」とおっしゃる患者さんがいますが、その考え方は危険です。というのも、生き残ったがん細胞は薬に耐性を持つことが多く、治療効果は徐々に低下していくものだからです。さらに、乳がんは全身病と考えられており、例えば肺に転移した腫瘍(しゅよう)を切除したとしても、いずれほかの臓器でも転移した新たながんが見つかる可能性が高いのです。

厳しい話ですが、乳がんは再発してしまうと、治癒に持っていくのは非常に厳しいのが現状です。だからこそ、乳がんには将来的な再発を抑制する治療がとても重要なのです。

がんの“性格”によって、薬物治療を選択

──薬物療法というと、抗がん剤のイメージがありますが、ほかにも治療法があるのですか。

一くくりに乳がんといっても、がん細胞の性質は一つひとつ違います。がんの “性格”によって分類したものを「サブタイプ」といい、サブタイプに応じて最適な薬物療法が選ばれます。

エグザクトサイエンス・表:乳がんのサブタイプ分類と、主な薬物療法

上図の縦のラインは、女性ホルモンと結合する「ホルモン受容体」が腫瘍に発現しているかどうかで区分したものです。女性ホルモンに反応して増殖するホルモン受容体陽性のがん(①②)の場合、切除手術後には、女性ホルモンを抑制するホルモン療法が行われます。

横のラインは、がん細胞の増殖を促すたんぱく質「HER2(ハーツー)」が、細胞の表面に過剰に発現しているかどうかで区分したもの。HER2陽性のがん(②③)の場合は、抗HER2薬が効くので、抗がん剤と組み合わせて行うのが標準治療となっています。

④のトリプルネガティブの場合は、通常のホルモン剤と抗HER2薬は効かないので、抗がん剤が必須になります。

──ホルモン受容体陽性・HER2陰性の場合、抗がん剤治療をする人としない人がいるのですか。

ホルモン受容体陽性・HER2陰性のがん(①)は、乳がん患者の約6〜7割を占める最も多いタイプです。ホルモン療法に加えて、抗がん剤を併用するかどうかは個別に判断します。

従来は、腫瘍の大きさやリンパ節転移の有無、がん細胞の増殖の速さ、細胞の異形度や患者さんの年齢などから総合的に再発リスクを評価し、さらに、合併症なども考慮して抗がん剤投与の有無を決めるのが一般的でした。この方法でもおおよその判断はつきますが、がん細胞は、病理などでは分からない「隠れた性質」を持っていることがあり、専門の医師でさえ判断が難しいケースが存在します。

抗がん剤の投与判断に役立つ「多遺伝子検査」

写真:中山貴寛先生

──ホルモン受容体陽性・HER2陰性のがんの場合、抗がん剤投与の判断がうまくいかないことがあるということでしょうか。

はい。ホルモン受容体陽性・HER2陰性のがんの治療においては、本来は必要のない抗がん剤治療(過剰治療)が一定数行われていることがわかっています。抗がん剤の効果が期待できない患者さんに対しても、抗がん剤治療が一部行われているということです。

ご存じの通り、抗がん剤には、脱毛や嘔吐(おうと)、気持ち悪さ、免疫力の低下、手足の指先がしびれる末梢(まっしょう)神経障害など、様々な副作用があり、患者さんのQOL(生活の質)は著しく低下します。不必要な抗がん剤治療を避けることが望ましいのは、言うまでもありません。

──逆に、必要な抗がん剤治療が行われていない、というケースもあるのでしょうか。

実際、少数例ではありますが、どの医師でも「抗がん剤投与は不要」と判断するような臨床的指標であっても、数年後、残念ながら再発してしまうケースはあります。なかには、抗がん剤治療をしていれば救えた命もあるでしょう。必要な抗がん剤治療が行われない(過少治療)ことは、再発リスクの増加につながる非常に深刻な問題です。

──そうした課題の解決に役立つのが、「多遺伝子検査」ですね。

私の病院でも取り入れている多遺伝子検査は、乳がんの切除手術後に「どの程度再発しやすいか」という再発リスクと、「抗がん剤で再発リスクを下げられるか否か」という抗がん剤の上乗せ効果がわかる検査です。

つまり、「再発リスクが低く、抗がん剤治療のメリットがほぼない人には抗がん剤をしない」「再発リスクが高く、抗がん剤治療のメリットが大きい人には抗がん剤をする」といった、抗がん剤を使用する・しないについての判断材料を提示してくれるということです。

先ほど、乳がんは再発してしまうと治療が非常に難しいことをお話ししました。再発予防治療の決定というのは、いわば「後戻りのできない分岐点」です。多遺伝子検査によって、より適した治療を選択できるようになることは、大きな意味があると思います。

──多遺伝子検査について、もう少し詳しく教えてください。

多遺伝子検査では、0〜100の数値に応じたがんの再発リスクが示されます。数値が大きいほど再発リスクが高く、抗がん剤治療を行うことで再発のリスクを下げることがわかっています。また、数値が小さいほど再発リスクは低く、抗がん剤治療を行っても再発のリスクを下げることにはつながらないことが明らかになっています。

エグザクトサイエンス・表:多遺伝子検査でわかる再発リスク(一例)

なお、この多遺伝子検査が適用されるのは、早期浸潤性乳がんで、ホルモン受容体陽性・HER2陰性、脇の下のリンパ節転移が3個以内の場合に限られます。

この多遺伝子検査は現在、世界各地で活用されており、欧米の主要な乳がん治療ガイドラインのほか、日本乳癌(がん)学会のガイドラインにも掲載されています。

治療の費用負担を軽減 医療費抑制にも寄与

──多遺伝子検査を受けることによる費用面のメリットはありますか。

まず、多遺伝子検査によって「抗がん剤は不要」と判断した場合、その分の費用が削減できます。症状や患者さんの体格によって異なりますが、一般的な抗がん剤治療には薬剤費だけで35〜70万円程度(保険適用前)がかかりますから、その負担がなくなるのは大きいでしょう。

では、「抗がん剤が必要」と判断して治療を受けた場合はどうでしょうか。再発予防のための抗がん剤治療は3〜6カ月で終わることが一般的です。抗がん剤治療を受けずに再発してしまった場合、その治療はずっと続くことを考えると、こちらも費用面のメリットがある可能性が高いといえるでしょう。

なお、多遺伝子検査の検査費用についても、近年、保険適用となったことで、従来より少額の自己負担で受けられるようになっています。

──社会全体の医療費抑制にも役立つということですね。

「不必要な抗がん剤治療を受けない」あるいは「必要な抗がん剤治療を受けて将来の再発を抑える」患者さんが増えることは、医療費の削減、ひいては日本の医療保険制度の持続性を高めることにつながるといえるでしょう。アメリカで開催された乳がん学会でも、現在の日本の医療制度を想定したシミュレーションにおいて、「多遺伝子検査を取り入れることで、医療費が削減できる」という結果が報告されています。

自分の体・病気と向き合える「賢い患者さん」に

写真:中山貴寛先生

──実際に多遺伝子検査を受けた方のエピソードがあれば教えてください。

私たちの病院では、術後の病理の結果が出た段階で、再発リスクが低いことが明らかな患者さん以外には、多遺伝子検査の話をするようにしています。

ある患者さんは、抗がん剤の必要ありとの我々の判断に対して、「髪の毛が抜けて仕事にも支障が出るからイヤ」と拒んでいました。その方に多遺伝子検査のことをご紹介したところ、やはり高リスクという結果が出て、その後、抗がん剤治療を受ける決断をされました。客観的な数値が示されることで、患者さん自身が「納得して次の一歩を踏み出す」ための後押しになるのだと思います。

──多遺伝子検査を受けるにあたって、知っておくべきことはありますか。

まず、どんな選択をしても「100%ということはない」という点です。多遺伝子検査の結果を受けて抗がん剤治療をしない選択をしても、将来的に絶対に再発しないとは言い切れません。あるいは、抗がん剤治療をしたとしても、再発する可能性がゼロになるわけではありません。

また、この検査を受ければ治療方針が自動的に決まる、ということではありません。中間付近の数値が出るとやはり迷われる方が多いですし、副作用をどこまで受け入れられるかなどは患者さんによって異なります。医師と話し合いながら治療方針を決めていくことには変わりはないのです。多遺伝子検査は、患者さんと医師の意思決定をサポートする「ガイド役」として役立てるのがいいでしょう。

──近年は、乳がんの治療薬が目覚ましい進歩を遂げているそうですね。

そうですね。乳がんの薬剤は年々進化しており、新薬の登場によって治療の選択肢が広がっています。例えば、ホルモン受容体陽性・HER2陰性の転移再発乳がんには、「CDK4/6阻害薬」という経口薬が使われるようになっています。これは、細胞分裂を途中で止めてがんの進行を遅らせるというもの。治療経過中にいずれ抗がん剤を使用することになるのですが、その抗がん剤を使うまでの期間を延ばすことができます。再発治療だけでなく、初期治療でも使われています。

また、HER2陽性乳がんの再発治療を大きく変えつつあるのが、「抗体薬物複合体(ADC)」です。これは、抗体と抗がん剤を結合させたもので、抗がん剤を標的とするがん細胞に直接届けるという画期的な仕組みです。再発して肝臓に転移しかなり厳しい状況だったにもかかわらず、この薬によってすでに7年もの間、元気に過ごしておられる患者さんもいます。

さらに、トリプルネガティブ乳がんには、免疫のブレーキを外し、免疫力でがんを攻撃する「免疫チェックポイント阻害薬」が使われるようになっており、予後の改善にも期待が高まっています。

──乳がんと向き合っている患者さんやご家族に、伝えたいことはありますか。

「賢い患者さん」になっていただきたいということでしょうか。ご自身の大切な体のことですから、病気について、治療のメリット・デメリットについて、できる限り学んでいただきたいです。きちんと理解・納得したうえで、医師とともに治療方針を決定していくプロセスは、この病気に立ち向かい共存していくうえではとても大切だと思っています。

正確な知識を身につけたうえで、わからないことや不安なことは何でも相談してください。その際は、質問内容を事前にまとめておいてもらえると、限られた診察時間を有効に使ってコミュニケーションがとれると思います。

──最後に、読者へ向けてメッセージをお願いします。

乳がん治療というと、「苦しい」「怖い」と思われるかもしれませんが、いまは様々な画期的な薬剤が開発されていますし、抗がん剤の副作用を軽減する色々な薬剤や対処方法が開発されています。また、小さな傷跡しか残らないロボット手術も徐々に導入されてきていますし、乳房を再建する手術も受けられます。患者さんの心身を助ける道は、着実に広がっているのです。

読者の皆さんには、乳がん検診の受診や、乳房の変化に日頃から気を配る「ブレスト・アウェアネス」を意識していただき、少しでも気になることがあれば、すぐに医師に相談をしてほしいと思います。

※1 国立がん研究センターがん情報サービス「がん統計」(2021年)
※2 国立がん研究センターがん情報サービス「がん統計」(2023年)
※3 全国がん罹患モニタリング集計2009-2011年生存率報告(国立研究開発法人国立がん研究センターがん対策情報センター,2020)、独立行政法人国立がん研究センターがん研究開発費「地域がん登録精度向上と活用に関する研究」平成22年度報告書

中山 貴寛
なかやま・たかひろ/1990年、奈良県立医科大学卒業。大阪大学医学部第二外科(現・消化器外科)、米国John Wayne Cancer Institute、米国 MD Anderson Cancer Center、大阪大学大学院医学系研究科乳腺内分泌外科を経て、2012年より大阪府立成人病センター(現・大阪国際がんセンター)へ。現在、大阪国際がんセンター乳腺内分泌外科 主任部長。

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