ゾウが作物を奪い、トラが家畜を襲う——。人間と野生動物の間で毎年、何千もの衝突が起きるインドで、共生への道筋を探り続ける研究者がいます。2019年度ロレックス賞受賞者で、2026年の「ロレックス ナショナル ジオグラフィック エクスプローラー・オブ・ザ・イヤー」にも選ばれたクリティ・カランスさんです。十数年にわたって野生動物と人間の相互作用を研究してきた彼女に、活動への思いと未来への展望を聞きました。

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クリティ・カランス(Krithi Karanth)
インドの野生動物保護の研究者で博士。父は著名なトラの研究者で、幼少期からジャングルに連れられて育つ。イエール大学で修士号を取得後、野生動物と人間の衝突問題の本格的な研究を始める。無料通話による損害補償申請支援「Wild Seve(ワイルド・セーブ)」や学校向け自然保護教育プログラム「Wild Shaale(ワイルド・シャーレ)」などの活動を展開している。2019年度ロレックス賞受賞者。

地球は人間だけのものではない

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©Alisha Vasudev/National Geographic

――インドにおける人間と野生動物の衝突に関心を抱いたきっかけは何ですか?

2002年のことです。イエール大学の修士課程での研究プロジェクトのため故郷のインドに戻り、野生保護区で調査をする中で、人間と野生動物の間に多くの対立があることに気づき、この相互作用を本格的に調べようと思い立ちました。当時の研究は限られたケーススタディーにとどまり、問題の重大さや分布、傾向といった全体像が把握されていませんでした。そこで2009年からインド全土で体系的な調査を始め、もう17~18年になります。

――その中で一番印象に残っていることは?

今でも驚くのは、野生動物に被害を受けた人たちに「なぜ動物にそばにいてほしいのか」「なぜ耐えられるのか」と尋ねると、何度も同じ答えが返ってくるのです。「動物たちは私たちと同じくらい長くここにいる。動物には生きる権利があり、私たちはともに生きる術を学ばなければならない」と。そこには、地球は人間だけのものではないという認識があります。

電話一本が報復を防ぐ

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野生生物研究センターのプログラムで苗木を手にするクリティ・カランスさん ©Alisha Vasudev/National Geographic

──ともに生きるにはどうすればよいのですか?

地域に根差した現実的なアプローチが不可欠です。地球上の哺乳類の多くがすでに失われ、インドではさらに深刻です。一方、15億人もの人口を抱えるインドでは、貧困から脱却するための開発が急務で、野生動物よりも開発が優先されがちです。その中で野生動物を守るのはとても難しい課題です。

そこで12年ほど前、いくつかのプログラムを始めました。そのひとつが野生動物による被害を受けた人たちが政府に補償を求める際に、多言語で対応可能なフリーダイヤル「Wild Seve(ワイルド・セーブ)」です。作物や財産を奪われたり、けがをしたりするなどの被害に遭った村人たちが怒って動物に報復しないよう、私たちが現場に駆けつけ、被害の査定も手伝います。当初は二つの野生保護区で始まりましたが、今では約30カ所に広がり、3万5千件以上の申請を処理しました。2026年末までには40カ所で実施する予定です。また、以前は1年半から2年かかっていた処理期間も、今では3カ月程度にまで短縮することができました。

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野生動物と接する機会の多い子どもたちに向けた自然保護教育プログラム「ワイルド・シャーレ」のセッションに参加するクリティ・カランスさん。「勇気と粘り強さをもって共に世界を創り直していくことで、野生動物と人がともに繁栄できる未来を実現できる」と語る ©Alisha Vasudev/National Geographic

こうした活動の中で、村の子どもたちがトラやクマ、ゾウを目にしても心を躍らせる様子がないことに気づきました。恐怖を感じるばかりで、動物そのものに興味をもっていなかったのです。そこで環境や野生動物について楽しく学べる自然保護教育プログラム「Wild Shaale(ワイルド・シャーレ)」を立ち上げました。ボードゲームや芸術活動を取り入れた学びは9年間で約1,600校に広がり、約7万5千人が参加しました。環境へのリテラシーが向上し、野生動物に共感し、関心を抱くようになりました。子どもたちに興味をもってもらえるようになったことは大きな希望です。

さらにコロナ禍では、人間と野生動物、家畜の間でどう病気が伝染するかについての知識不足も明らかになりました。そこで第一線の医療従事者や獣医師、行政職員などを対象とした大規模な地域教育啓発プログラムを始め、今では100以上の野生保護区に広がっています。

野生動物に恋をしよう

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インド・ランタンボール国立公園に生息するトラ。クリティ・カランスさんは、幼い頃からトラの足跡を追ってきた ©Santosh Saligram

──野生動物による被害を補償するだけでは共生できないということですか?

インドでは毎年10万〜20万件もの事故が発生しています。貧しい家庭が牛や作物を失えば家計が成り立ちません。補償があれば、より早く立ち直ることができますが、それだけでは十分ではありません。保険制度や教育、コミュニティーへの働きかけなどさまざまな対応が必要です。

また、野生動物との「対立」という構図を前面に出すと、人々は扇動的な動画を撮って拡散し、対立がさらに深まる危険があります。人々の心に自然への感謝と前向きな感情を育むことが、長期的には最も大切です。

──それでイラストレーターや映画監督、写真家とも協力しているのですね

野生動物を心から大切に思うようになるには、恋をしなければなりません。人の心を動かすのは、事実や数字よりもストーリーテリングです。素晴らしい写真や映画、芸術は、人々をより深く自然と結びつけてくれます。

ゾウの群れに出会ったことがあります。子ゾウが死んだとき、群れ全体が4日間、そのそばに寄り添っていました。思いやりや愛情、悲しみといった感情は、人間だけのものではありません。私はそうした姿を見るたびに魅了されます。

インドの解決策を世界へ、次の世代へ

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野生生物研究センターの仲間たちと語り合う、クリティ・カランスさん ©Alisha Vasudev/National Geographic

──インドで生まれた解決策は、他の国々でも役立つと思いますか?

中国やアメリカでは国土の十数%が保護区になっていますが、インドは5%にとどまります。それだけ人と動物が隣り合わせで暮らしているなかで、人々には適応力と回復力、そして野生動物への寛容さが育まれてきました。厳しい制約の中で生み出された解決策だからこそ、革新的なのです。「ワイルド・セーブ」のような補償支援の仕組みは野生動物との衝突が多いアジアやアフリカ全域でも応用できますし、自然保護教育もケニアやエクアドル、インドネシアでも応用できるでしょう。

──活動を広げるためにはどんな課題がありますか?

インドにはこの分野で訓練を積んだ人材がまだ少なすぎます。若い人たちを育てることが人数を増やす唯一の方法です。誰も一人ではできません。自分と異なるスキルをもつ多様な人たちと協力することが、時計の針を前に進めると信じています。

女性の進出も非常に意義のあることです。私の父の世代には、野生動物の研究や保護活動は非常に危険で、男性の仕事だと見なされていました。いま状況は大きく変わり、女性が遠隔地で働き、現地調査をし、地域社会に根付いた保護活動を担えるようになりました。インドでは、娘がジャングルで研究することにためらう親もまだいます。それでも私の後の世代では、ますます多くの若い女性がこの分野に入ってきており、私は希望をもっています。多様な意見があることが、大きな違いを生み出すのです。

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クリティ・カランスさんは、自身が手がけるプログラムが、世界に広がる動物保全活動のモデルになることをめざしている ©Sandesh Kadur/National Geographic

──次の世代に伝えたいメッセージはありますか?

まず、子どもたちと一緒に自然の中に出かけてください。都市を離れる必要はありません。双眼鏡を手に公園へ行くだけで、自然を観察することができます。自然は身近にあります。私たちが目を向けていないだけです。

私たちは、地球上にまだ多くの野生動物が残っている特別な時代に生きています。種を守り、未来に残すチャンスがある。トラやゾウが常に身近にいることを当然だと思ってはいけません。動物園は解決策ではなく、野生のまま存在し続けることが重要です。だからこそ、保護活動にもっと多くの人が携わって欲しいと思います。