ちくご群像
射場の空気がぴんと張りつめた。縦1列に並んだ3人の弟子。順番に弓を絞り、矢を射る。その動作をみじろぎもせず見つめる。
「こうしては駄目だ」。矢を放った弟子の右手の動きにすかさず身ぶりで注意した。
森永良雄さん。100歳。現在、国内に4人しかいない弓道の最高位、範士10段を9年前に極めた。3代目社長を務めた久留米市三潴町玉満の酒造会社「杜(もり)の蔵」の敷地に自前の道場がある。
射場と28メートル離れて立つ的場はいずれも木造かわらぶき。2代目社長の亡父が大正末に別の場所に構え、戦後、現在地に移設した。築80年を超す道場の名は「拙誠(せっ・せい)館」。
「昔のだんな衆はそろって弓をやり、道場を建てたもんです」。今は公立の施設が主流だが、かつてはこうした民間の道場が少なくなかったという。
森永さんは10代半ばで弓を引き始めた。応召後、会社経営に奔走しながら精進を重ね、県弓道連盟会長を19年、全日本弓道連盟の副会長を4年間務めた。
道場は自身の稽古場であり、弟子を指導する場でもあった。近くの中学校の弓道部が通っていた時期もある。
ここに集う「拙誠会」の会員は現在、県内外の男女38人。錬士または5段以上の上級者ばかりだ。個別練習が週2回、全体練習が月1回ある。
副会長の坂口高精(たか・あき)さん(80)は大牟田市から通う教士7段。消防署員だった30歳で弓を始め、40歳を前に紹介を得て森永門下に入った。
「先生は今でこそ温厚になられたが、90歳ぐらいまでは近くに寄れないほど怖かった」と振り返る。地元では社会人に教える立場だが、ノートには師の言葉が幾つも書き留められている。
昨年7月の森永さんの誕生日。道場で「百寿祝射会」が催された。駆けつけた弓道関係者約50人を前に、森永さんは記念の矢を2本射った。
以後、人前では披露していない。「体力が落ちましてね」。それでも弟子が来る日は道場に姿をみせ、決まった場所に正座する。練習の合間には語らいがはずみ、なごやかな時が流れる。
日本武道館は昨年9月、「マンガ・武道のすすめ」を発行した。柔道や剣道など競技別に11章。弓道の章では、4ページにわたって森永さんを紹介している。タイトルは、「筑後のおおらか弓名人」だ。
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現在、武道をおこなう道場の多くは公的施設が担っている。とはいえ、昔ながらの民間の「町道場」が気を吐いているところもある。いざ、門をまたいでみた。(遠山武)
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