有馬朗人さん、90歳で死去 浜松への愛情と足跡残し

長谷川智 阿久沢悦子 菅尾保
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 90歳で7日に死去した原子核物理学者で元東大総長有馬朗人さんは、小学校から旧制中学にかけての多感な時期を浜松で過ごした。第2次大戦の終戦を迎え、父を亡くした地でもある浜松との縁はその後も続き、浜松市のPRを担う「やらまいか大使」や静岡文化芸術大学(浜松市中区)の理事長を務めるなど、この地への愛情を示し、発展に足跡を残した。

 小学6年の時、父の仕事の関係で浜松に。その後、浜松一中(現浜松北高)に進み5年間を浜松で過ごした。一中時代の同級生だった中村雄次さん(90)=浜松市東区=は「ガリ勉ではなく天才。数学の先生が『有馬には教えることがない』と言っていた」と振り返る。一方で、本人は朝日新聞のインタビューで「ラジオやモーターを作るのは元々好きで一中では勉強よりも模型づくりに熱心だった」といい、このころ出会った一冊の本が物理の世界に入っていくきっかけになったと振り返っている。

 苦学生だった。中学3年で父を失い、家庭教師をする条件で旧豊岡村(現・磐田市)の家に母とともに下宿。高校・大学時代も家庭教師やアルバイトなどに奔走していたという。

 2005年にやらまいか大使になった。鈴木康友市長は7日に感謝のコメントを出した。文化芸術大学の理事長には10年に就任。その年の入学式では「浜松への愛着が(理事長を)お受けした理由の一つ」と話した。任期は3期目に入っていた。

 大学院に博士課程を設置することなどに意欲を持っていた。横山俊夫学長は「言葉の端々に浜松に対する愛着、若者に対する愛情があふれていた。大学をよくするための活動をもう少し一緒にやっていきたかった」と悔やんだ。

 最後の通勤となったのは2日。この日は浜松一中の同窓会にも出席した。幹事を務めていた中村さんは「『日本の論文の数が少なくなった』などと2時間近く天下国家について元気に話していた」と振り返り、「突然のことで驚いている」としのんだ。

 10年には吉田町の「ちいさな理科館」の初代名誉館長にも就いていた。田村典彦町長の依頼に「次代を担う子どもたちに科学への関心を呼び起こしたい」と二つ返事で引き受けたという。小学生を対象にした「理科教室」にも毎夏、参加。昨年のテーマは「磁石」で「私も小学生の時にブリキを切ったり、コイルを巻いたりして磁石を作った」と話し、子どもたちの興味をひきつけていた。

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