元来は、仕事がない時に賃金を補償する制度だったのかもしれない。だが構造的に需要が増えて人手不足の状況では、残業代削減の機能しか働かないだろう。問題になるのは当然だ。
よい記事なのだが、含意が伝わるのか少々懸念もある。哲学用語で翻案してみようと思う。 アリストテレスによれば、人間の知的機能には二種類がある。一つは認識的部分to epistemonikonで、これは前提から出発して論理的に推論し、正解
カギは宿題を出すか否かではなく、生徒個々人に手間と時間をかけて向き合えるか否かのようだ。問題は、教員にその余裕があるか否かである。 四日市高校の例では、学習計画シートを作成させて、そのあと面談その他でフォローし、場合によって個別課題も課し
こういう姿勢の政府が防衛力強化をうたうのは矛盾だが、国民の保護より目先の国政と役所の事情が優先という方針では一貫しているようにもみえる。国民からそう思われてしまったら、政府としては正統性の危機である。
三者三様だが、「政治に関わるには職業政治家にならなければだめなのか」というジレンマは共通しているように読めた。 他の先進国では、基礎自治体レベルの議員は、何らかの職に就いている兼職の市民がなるのが原則である。議会も週末や夕方からだった
広く読まれるべき記事。問題は政府の税の使い方に信頼が持たれていないことだが、問題はそこであって、税そのものではないことに気づくためにも。
松下竜一『砦に拠る』に記録された「蜂の巣城」の精神がこういう形で活きているのが感慨深い。個々人の生命を超えた時間軸が可能にする「守るべきもの」が、こうした力強さを生むのだろうか。
他国では「左右分極化」として表れる現象が、日本では「同調圧力」として表れる。そして、「同調」しない声の排除として表れる。 グローバル化が進み、情報の流通量が増えると、情報の受け手は「時間がないから」と分かりやすい結論をいち早く得たくな
この種の誹謗中傷は、相手が弱いとみなすと、余計に激化しかねない。相手が動揺し、「弱者」であることを示せば示すほど、それを攻撃する側は「強者」の自信が持てるのだ。 この種の誹謗中傷への対処の一つは、動揺しないことである。おびえたり、逃げ
扶養照会の「実効」は0.7%。「調査にはまる1年かかった」というが、民間報道機関が国のやらない調査を実行し、限られた自治体数とはいえ数字を出した貢献は大きい。地道な努力が国を動かすことを期待する。
表現者の言語をよく捉えたインタビューだと思う。「自然界にはあのような線はない」ところに線を描くのが「表現」であり、人間ならではの人為artである。 一人で描いていたというのは、超人的だとも思う反面、「線を描く」ことを人に任せるという妥
あえて言う。何のために掲載した記事かわからない。悪趣味だとさえ思う。 社会の耳目を騒がす事件が起きると、容疑者が実名で報道され、卒業アルバムの写真などがメディアに出回ることが日本では多い。さらに、その容疑者の幼少時や学校時代に関する些
AIは知識以上に論理的思考が得意だ。「知識より論理的思考、試験より課題提出」を重視してきた英米の方が、その流れに出遅れた日本より事態は深刻かもしれない。 遠隔地や海外からの応募書類提出で入学審査していた英米の大学(や企業)などは、対応
組織の一員が調査を行い、資料室がそれに協力して、その結果を公表し、組織の過去を問い直す。それを可能にするだけの記録も保存されている。それは組織として健全なあり方だ。いろいろ組織内経緯があったかもしれないとしても、である。
「専門性の高い人材」を、専門課程を終えていない大学3年生のうちに選考するというのは矛盾である。 日本企業が「専門性」を重視しておらず、「まっさらな新人」を社内育成する新卒採用の慣行から抜け出していないことを示しているといえるのではない
総じて「(政治に)期待していないから勝手にやってくれ、ただし(国民に)負担をかけるな」という「民意」と読めなくはない。 もしそうだとすれば、一番まずい状態だ。国民の目の届かないところでの、権力の私物化を促進することになりかねないからで
1995年刊の岩波新書『経済予測』(鈴木正俊著)にも、経済企画庁の経済予測が官庁間交渉の取引材料とされ、数字調整などが行われていた経緯が記されている。 それによれば、予算を引き締めたい大蔵省(当時)は低めの経済成長予測をほしがり、予算
イスラエルは分断の大きい国だ。出生率も信仰別で違い、超正統派のユダヤ系女性が 6.64、世俗派のユダヤ系女性は1. 96だ。それらの平均が3.1である。 イスラエル政府の中央統計局(CBS)の推計 https://www.cbs.gov.
2年前、初回の時評は「朝日新聞の論壇時評六十余年の歴史で、私は初の女性筆者だという」という一文から始まった。他人の論考の時評という枠内で「自分の言葉をどう繰り出せばよいのか」で悩むのはこの欄の執筆者に共通だろうが、林氏の重責感はとりわけ大き