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TOKYO SAKE PROJECT Tokyo Tokyo

東京で造る酒 
知られざる歴史と魅力

日本酒といえば自然豊かな田舎で造られるイメージですが、実は東京にも酒蔵が。そんな東京で造られる酒にはどんな歴史と特徴があるのでしょうか。

「東京に酒蔵があったんだ」、「東京でおいしいお酒ができるわけがない」。

今回、東京にある9つすべての酒蔵を訪ねたが、その多くがこんな言われ方をされた経験があるという。

豊かな自然に恵まれ、水がきれいなところでこそおいしい日本酒ができる。大都会である東京は、そんなイメージからかけ離れているからだろうか。それは大きな誤解だと断った上で、東京の酒造りの歴史をひもときたい。

東京で酒造りをしている田村酒造場の酒蔵

文化が花開いた江戸中期

神事や宮中行事に欠かせない酒。酒造りの文化は、都があった京都を中心に発展していく。

近世になり幕藩体制が成立するとともに、交通の要所である城下町、門前町、宿場町や港町などで盛んに酒造りが行われるように。

江戸の酒造りの起源は定かではないが、地域ごとに小さな酒蔵が存在したようだ。

江戸時代中期になると文化や産業が一気に花開き、江戸の町の人口も増加。飲食の需要も急増する。

当時、酒といえば灘や伏見に代表される西の酒。これが舟によって江戸に運ばれ、「くだり酒」といってもてはやされていた。

逆に当時の江戸の酒造りは規模が小さく、酒の質もお世辞にもいいとは言えなかった。江戸をはじめ関東近辺の酒は「地廻(まわ)り悪酒」と皮肉られていたともいう。

23区内に64もの酒蔵が

この流れを変えようと、ときの老中・松平定信は地元の有力酒造家を集め、幕府が所有する米1万4700石(2205トン)を貸し与え、上精白した上で酒3万樽(たる)の製造を命じた。

こうして誕生した優良な酒は、問屋を通さずに直接江戸に出店して販売した。国内最大の消費地で、舟運など交通網が発達していたという好条件もあって、現在の23区内にも多くの酒蔵ができたことが記録にも残っている。

1910(明治43)年の記録でも、現在の東京23区には実に64の酒蔵があった。しかし、今では東京港醸造1軒のみに。ここも一度は廃業を余儀なくされたものの、数年前に復活を遂げた蔵だ。

東京港醸造

都市化の影響で酒造りの環境維持が難しくなったことが大きいだろう。その逆境の中、東京港醸造では独自の工夫と挑戦で新しい「東京の酒」を生み出している。

東京港醸造で造られる「江戸開城」

水、米に恵まれた多摩は
銘酒のふるさとに

一方、江戸に隣接する多摩地域では、多くの村で古くから酒造りが行われてきた。元禄年間の古文書によると、さらに昔から酒が造られていたという記録も残っている。

山間部の多い多摩地域は、水が少なく良質な米の栽培は難しいとされたが、多摩川と秋川が合流するあたりは取水しやすく、秩父古生層を流れる中硬水は酒造りに適していた。

地元の名主や庄屋によって酒造りが進められ、現在も八つの酒蔵が自社銘柄の酒を手がけている。

石川酒造の「大吟醸 多満自慢」

豊かな自然、名水、気候風土が大都会東京とは一線を画す多摩地域。恵まれた環境と酒造りに携わる人々の情熱やチャレンジ精神によって、それぞれの蔵が個性ある銘酒を育み続けているのだ。

ダイバーシティーの都市、東京。この街で醸される日本酒もまた、伝統を紡ぎながら進化の歩みを止めず、多種多彩な色を放ち続ける。

(文:中津海麻子)

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