高橋和人さんが、ふるさと岩手県で介護の世界に飛び込んだのは、失業中だった44歳の時。高校時代の野球部の先輩に誘われたのがきっかけでした。その後、母親の認知症発症をきっかけに独立し、現在は二つの法人で五つの施設を運営しています。施設は介護に農業を絡めた「半農・半介護」が特徴で、高橋さんは「命を永らえさせるためだけの介護はしたくない。最後まで生きがいを持って生き抜くことを支援したい」と話します。
たかはし・かずひと
1961年岩手県生まれ。NPO法人「里・つむぎ八幡平」と一般社団法人「すばる」の理事長兼統括施設長を務める。早稲田大学を中退後、国内外を旅行。20代後半から職を転々とし、盛岡市内で輸入インテリア店を15年営む。44歳の時に社会福祉法人の立ち上げに関わり、特別養護老人ホームの準備室長や事務長、施設長を5年余り経験した。
取得資格は社会福祉主事任用資格、介護支援専門員、認知症ケア専門士、認定農業者など。趣味は読書。
――現在は故郷の岩手県八幡平市で二つの法人を運営されています。
「田舎でスローライフ」なんて言う人もいますけど、おかげさまで忙しくさせてもらっています。
大きく分けるとNPO法人「里・つむぎ八幡平」は介護、一般社団法人「すばる」は農業にフォーカスした団体です。介護の分野では、宅老所と認知症対応グループホーム・在宅型有料老人ホーム、共生型グループホーム、小規模多機能ホーム、障がい者グループホームと五つの施設を運営しています。どの施設も「まるごとケアの家」という名前が頭に付くのですが、利用者さんやご家族の同意を得て、看取りケアも行っています。私自身はマネジメント業務に注力するかたわら、ケアプランを立てる場合もあります。
――同時に農業にも力を入れているわけですね。
「すばる」が展開する事業所では、障がい者や高齢者を含め、一般企業での就労が難しい人たちが野菜を栽培したり、米を作ったり、農作物の加工品を開発したりしています。
私たちは「すばるファーム」という農場を所有していて、そこでは八幡平市固有のニンニク品種「八幡平バイオレット」などを育てています。作った米や野菜は、「古民家食堂 なつかしの家で食べることができます。そこでの調理補助なども事業所で働くスタッフが担当しています。二つの法人として「半農・半介護」を実践しているのが私たちの特徴だと思います。
――幅広く介護と農業を手がけていますが、最初からうまくいったのですか。
独立して「里・つむぎ八幡平」を立ち上げたのが2011年、49歳の時でした。人づてに近所で「高橋は老人たちを集めて怪しいことをしている」「高橋は老人たちを相手に金もうけをしている」とささやかれていると聞いたこともありました。利用者の昼寝の時間にカーテンを閉めているのも何か疑われるきっかけになったのかもしれません(笑)。
ですから、最初はこの辺りの利用者は一人もいませんでした。知り合いの事業者やケアマネジャーに「誰でも受け入れるから紹介してください」と相談しましたね。設立当初の職員は私を含めて5人いたんですが、最初の2カ月は利用者が2、3人しかいなくて、「これはまずいぞ、給料が払えなくなってしまう」という状態になりました。ただ、少し距離の離れた場所の人たちに宿泊の介護をしていることを徐々に知ってもらえて、運よく利用者が増えていったんです。
――なんとか息をつないだという感じだったのでしょうか。
そうですね。ただ、苦労した記憶はないんですよ。独立する際に入所とデイサービスとを組み合わせた介護をしたいという青写真がありましたし、父が残してくれた田んぼと畑を介護と農業の土地として活用したいというイメージを持っていましたから。それに、独立する前の経験も大きかったと思います。
――どんな経験でしょうか。
高校時代の野球部の先輩が、社会福祉法人を立ち上げるから手伝ってくれ、と声をかけてくれて、盛岡市内の特別養護老人ホームの準備室長や事務長、施設長を務めた経験です。2005年、44歳の時です。実はその前に私自身は離婚を経験していて、15年営んでいた輸入インテリア販売業から離れ、職を転々としていた時期でした。ただ、ホテルマンなどいくつかの仕事をしましたが、どれもしっくりこない。父が病気で亡くなって、結局、自分は失業中の上、無一文でいろいろ悩んでいるタイミングで社会福祉法人の設立の話が舞い込んできたので、「せっかくの縁だし、まずは一生懸命やってみようかな」と思ったのがきっかけでした。
――いろいろな立場から介護の世界を見たわけですね。
特養では、入所している60人のうち8割ほどは認知症の方でした。最初は知識も下準備もほとんどなかったので、認知症の人とどう向き合えばいいんだろうという不安がありました。ただ、これは私の性格で、新しいことやまったく知らないことをやるのは好きなんです。もちろん、周りの人に話を聞いたり、本を読んだりして勉強もしました。そうやって認知症の世界をどんどん掘り下げていくと、非常に興味深いんですよ。ですから介護の世界に抵抗はありませんでした。ちょうどその頃、もっと介護を続けていきたいと思った出来事がありました。
――どんな出来事ですか。
母が認知症になったことです。特養に勤め始めてから4年目ぐらいでした。近所の人から、「最近、様子がおかしい」と言われ、よくよく様子を見ると、表情がぼうっとしていたり、田んぼの苗の栽培が非常に上手だった人がうまくできなくなったりと、認知症の症状が見受けられました。このまま八幡平で母の面倒を見ながら盛岡に通って仕事をするのは難しいと思いましたし、大規模な特養での仕事を経験して、もっと小規模で、利用者と職員の距離が精神的にも物理的にも近いケアの仕方があるんじゃないかなと考え始めました。それならば、母を看取ることもできる施設を自分で作ろうと決めました。
――「里・つむぎ八幡平」を2011年に立ち上げて10年以上が経ちました。今では幅広く介護を網羅して、看取りも行っていますが、それだけ手厚く命に寄り添っているのはなぜなのでしょう?
そうですね……身近な人の死は関係あるかもしれません。初めて死を意識したのは7歳の時で、近所の男の子が交通事故で亡くなりました。高校1年生の時は私の斜め前に座っていたクラスメートが自死してしまった。38歳の時はよく知っていた人が自死しましたし、この仕事を始めてからも、利用者さんのご家族で親しくしていた人の自死がありました。そうした命のことが心の片隅にあって、だから介護を通して一人ひとりの命を見守り、命に寄り添って、終末期を豊かにするサポートができないだろうか?という気持ちがあるのかもしれません。
――「通い」「訪問」「宿泊」と手がけていると、いろいろな利用者もいるし、状況もさまざまだと思います。それぞれに適切に対応するのは大変ではないですか。
おっしゃるとおり、さまざまな利用者さんがいて、関わるご家族も当然、一様じゃないんですよ。利用者さんの性格も状況も違うし、認知症も何種類もある。身体の衰え方もそれぞれですし、常にその人に合わせたケアを工夫していかなきゃいけない面があります。ご家族への対応も一緒くたにはできません。ただ、私は性格的に一つのことをやるより、いろいろ考えなければいけない方が好きなので、自分に合った仕事だなと思いますし、日々いろいろなことが起こる中で頭を働かせて個々に合った介護ができた時はやりがいを感じます。
――40代でのキャリアチェンジが成功した要因は何でしょうか。
今にして思えば、介護の仕事を始める前の人生経験が大きく生きているような気がします。大学を中退してワーキングホリデー制度を利用してオーストラリア・ニュージーランドで働いたのを皮切りに、結局20くらいの仕事をしたのかな。飲食関係は調理場もウェーターもほぼ全部やりました。塾講師や家庭教師もやりましたし、めずらしいものでは書籍販売や外国船貨物の荷物の検品などもありましたね。介護って、人が相手の仕事なので、いろんな仕事を通して人と関わった経験が役立っている感覚は強いです。接客やサービスは介護に通じますし、飲食業や営業をやっている人は介護職にすごく向いていると思いますよ。転職を考える際はぜひ選択肢に入れてほしいですね。
――今後の目標はありますか。
命を永らえさせるためだけのケアはしたくないと思っています。それよりは命の質みたいなものを考えて、利用者さんの尊厳を守るような介護を続けていきたいですね。口から食事を取れない人の栄養補給法に、おなかに穴を開けてチューブを通し、胃に直接食べ物を流し込む方法で、胃ろうがあります。元気になるため補佐的にするのであれば良いのですが、そういった措置をした状態で、寝たきりのまま4年も5年も過ごすのが果たして本人にとって良いことなのかどうかという問題は常に考えています。ずっと寝たきりだと「床ずれ」とも言われる褥瘡(じょくそう)になりやすく、強い痛みを感じるんですよ。そのような苦しい長生きが果たしていいのかどうか…うちでは無理な延命治療を行わない、みとりケアも行っていますが、その人が生き生きとして少しでも笑顔が増えるような生活の中で亡くなる方が幸せなんじゃないかなと思うんです。人間の尊厳という点では、たとえばできるだけその人が使える体の機能を活用するのも同じです。少し足がよろよろし出したからといってすぐに車椅子に乗せるのではなく、ゆっくりでもいいのでその足で行動してもらう。終末期だからこそ、「生きている」という実感を持ってもらいたいなと考えています。
――豊かな終末期をサポートするということですね。
そうですね。その点では「半農・半介護」の「半農」の部分にももっと力を入れていきたいです。自分たちの農場を活用して、農薬とか化学肥料をなるべく使わない食べ物を利用者さんに提供して、安心安全な食事をおいしいと感じてもらう時間をさらに増やしていきたいですね。今は自分で200坪ぐらいの畑を「実験畑」と称して野菜を栽培していますが、そこは全部、無農薬と無化学肥料でやっていて、きちんと野菜が育っています。自分たちで責任を持てる食材で利用者さんの笑顔や健康を支えていきたいです。利用者さんが農業に関わる場面ももっと増やしたいですし、そうすると日々の生活もより楽しくなるはずです。
――やはり網羅的に高齢者の命に寄り添うのが高橋さんの信念なんですね。
介護は「お見送り」の支援ではなく、最後まで生きがいを持って生き抜くことをサポートする仕事なんです。介護職員の考え方やケアの仕方、接し方でいくつもの笑顔を引き出すことができますし、そこが大きなやりがいだと思います。人を喜ばせることに生きがいを持つ人にはぜひ介護の世界に来てほしいですね。「このおじいちゃん、おばあちゃんに何かすてきな思い出を残してあげたいな」といった純粋な思いが介護の仕事の大きな軸ですし、誰かに喜んでもらうのが好きな人にはとても向いている仕事だと思います。
取材協力/高瀬 比左子
*本事業は、「令和4年度介護のしごと魅力発信等事業(情報発信事業)」(実施主体:朝日新聞社・厚生労働省補助事業)として実施しています。
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