コラム・寄稿

私の声を奪うのは誰か 障害のある性的マイノリティーはここにいる

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カラフル・ライツ・ぐんま代表 川端櫂=寄稿
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 自分の声が聞かれていない、自分の言葉が奪われている――。マイノリティーの訴えは、しばしば力を持つ人たちによって無視されたり、消されたりします。脳性マヒによる重度障害があり、性的マイノリティーの当事者の川端櫂さんは、「私はここにいる」と声をあげています。

カラフル・ライツ・ぐんま代表 川端櫂さん寄稿

 「この動画、誰かに無理やり、言わされてるよね」

 3月下旬、地元の商店街で、政府の防衛費増に反対するスタンディングデモをおこなった。「誰か、一緒にやりませんか」という呼びかけ動画をSNSに載せたところ、「誰かにやらされているのでは?」というコメントが多数ついた。

 ――そんなわけないだろう。

 私には生まれつき運動障害と言語障害がある。顔の筋肉を思うように動かせず、明瞭な発音で話せない。それでも、ずっと、自分の声で社会に訴えてきた。

 この社会は、「一発で分かりやすく」伝えることを重視する。聞き手が「理解できない」と判断した途端、私の声は無意味な雑音と化す。その言葉を理解できるかどうかは、受け取る側の問題でもあるのに。

■学校の教室で

 実際、私と初めて会う人は、私の言葉を全く聞き取れないことも多いが、何回か会ううちに私の発音に慣れていき、自然と聞き取れるようになる。それでも聞き取れない時は、私に聞き返せばいいだけのことだ。

 子どもの頃、私は声を奪われていた。障害のない同級生と同じ教室で、教員は私の言葉を直接聞こうとしてくれなかった。教員に話しかけても、私が何を言ったのか、隣にいる介助員に聞くばかり。介助員も聞き取れておらず、結局、私がもう一度、言い直すことも多かった。

 今なら、「聞き取れなかったら、直接、私に聞き返せよ」とつっこみたい。しかし、当時、「分かりやすく伝えられない自分がダメなんだ」と思いこんだ私は、話したいことがある時は、まひのある手で文字を書いて、相手に見せるようになった。冷静に考えれば、文字を書いて「一発で」伝えるより、不明瞭な発音でも話しながら、聞き取れない部分を聞き返してもらったほうが、断然早いのだが。

 家族とは当たり前に自分の声で話せるのに、学校で同じように話せないのが、身がよじれるほど悔しかった。誰にも同じ経験をさせたくない。どんな障害があっても、本人の言葉を大切にできる社会にしたい。だから、私はどんな場でも堂々と話す。

 そんな背景を知らないやつらが、「川端は誰かにやらされている」などと、ほざく。はっきり話せない障害者は、声をあげてはいけないのか。ふざけやがって。私から言葉を奪うな。

 ……と、今では周囲が引いてしまうほど、自己主張をする私だが、以前は全く怒れなかった。

■介助員に舌打ちされても

 中学2年の冬、階段をゆっく…

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