戸田恵子さんの「わたし遺産」とは? by 三井住友信託銀行

「人との出会い」が「自分のスキル」につながる。

三井住友信託銀行「わたし遺産」
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「わたし遺産」とは、あなたの心にのこる、未来へと伝えたいと思う「人・モノ・コト」――。三井住友信託銀行が主催する、第9回「わたし遺産」の作品募集が始まった。舞台や声優など幅広い分野で活躍する戸田恵子さんは、「人との出会いから生まれた技術やノウハウ」が財産だという。芝居の土台を築いてくれた野沢那智さんとの話を中心に、さまざまな人との出会いから得たコトを語ってくれた。

10代の頃、コントをして芽生えた「コメディエンヌになりたい」という気持ち

私は10代の頃からずっと芸能の世界にいますが、この仕事を続けさせていただけているのは、さまざまな人との出会いがあったからだと思っています。

名古屋出身の私は小学校5年生の時にNHK名古屋放送児童劇団に入団して、中学生の時まで地元で制作しているドラマに出演していました。その後、アマチュアのフォークバンドのボーカルをやっていましたが、そこで地元テレビ局のプロデューサーに出会い、スカウトされ、15歳で単身上京しました。レコードデビューを果たしたのですが、全然売れなくて――。鳴かず飛ばずの歌手生活が4年くらい続きました。ただその時にバラエティ番組に出演させていただき、コントをたくさんやりました。伊東四朗さん、小松政夫さんなどと出会い、お仕事をしている姿を間近に見ることで「コメディエンヌになりたい」という気持ちが芽生えたんだと思います。

野沢さんから学んだ芝居の土台が揺るぎないものとして今も残る

そして歌手を諦めようとしている時に出会ったのが、声優や俳優など幅広く活躍されている野沢那智さんでした。当時、野沢さんはラジオ番組のMCをされていて、歌手がゲストで出演していたのですが、その現場に私も何度か足を運んでいました。私が歌手を辞めるという話が耳に入ったようで、「もったいない。せっかく東京に来たんだから、何か他にやれることがあるんじゃないか」とお誘いを受けて、野沢さん自身が座長だった劇団薔薇座(当時)を見学に行きました。ミュージカルがメインの劇団で、研究生はダンス、声楽、お芝居などのレッスンがあり、学校にあまり通えていなかった私は、学生気分を少し取り戻すような気持ちで入団を決めました。それが20歳になる少し前で、約10年間、劇団に在籍しました。いざ入団すると、厳しくて、厳しくて。当時は、休憩もなく、朝まで稽古して、声も出なくなり、「なんで声が出ないんだ」と怒られるのですが、「それは、野沢さんが寝かせないからでしょ」(笑)と、みんな言いたいけど言えないような雰囲気でした。

野沢さんから学んだことは芝居の土台になるあらゆることです。セリフ回しから、目線、顔の向き、足を何歩踏み出すかまで、演劇の基礎をしっかり叩き込まれました。特に舞台上の位置の取り方については「お客さんからは舞台全体が常に見えるので、なるべく平面、平坦にならないように位置を取らなくてはいけない」と繰り返し指導を受けました。これら芝居の土台は、私の中に揺るぎないものとして今も残っています。劇団を卒業して、数々の舞台に出させていただきましたが、私が劇団で築いてきた土台は、どの舞台でも通用するものだったと感じています。

「毎日、同じ成果を出せるように稽古をするんだ」と叩き込まれた

野沢さんは「自分達は毎日、同じことをやっているかもしれないが、お客さんは毎日違う。だから昨日出せたことを、今日出せないというのはダメなんだ。毎日、同じ成果を出せるように稽古をするんだ」と口酸っぱくおっしゃっていました。当時は、同じセリフを同じ相手に毎日言うような稽古に喜びを見出せなかったのですが、今はそれが一番安心材料になることがよく分かっています。

ダメ出しは毎日ありました。入院されていた時も、お手紙でダメ出しが毎日届く。ビデオで見てくれていたみたいで。そんなことってないですよね。ずっと見てもらっていたんだという思いがあります。逆に褒められたことはなく、「そこそこできた」と感じた時も「まあ、段取りはそういうことだな」と、劇団内では有名なセリフが出るだけ(笑)。でもこれが精一杯の誉め言葉だったのではないかと思います。野沢さんがお亡くなりになった時は、「もう誉めてもらえることがないんだ」という気分になり、「どこかで野沢さんに誉めてもらいたい気持ちで芝居を続けてきたんだ」と改めて気付かされました。

声優への道、三谷幸喜さん、やなせたかし先生との出会い――

そんな野沢さんは、私に声優という道もつけてくれました。当時劇団員は生活のためにアルバイトをしていたのですが、野沢さんが「どうせなら同じようにしゃべる仕事で稼げたらいいじゃないか」と声優の仕事を紹介してくれたのです。当時は声優の養成所もない時代で、スタジオにすぐに放り込まれて、マイクの前のどの位置に立てばいいか、どのぐらいの声を出していいか分からず――。「マイクがあるんだから、そんなに大きな声を出さなくていい」と怒られましたね(笑)。技術を身に付けるのにとても時間がかかりました。でもそこで白石冬美さん、井上瑤さんといった女性の声優の先輩方との出会いがありました。仕事が終わった後にお茶を飲んだり、ご飯を食べたりしながら、さまざまなお話をしてくださる、それが楽しくて――。当時は仕事ができずキツかったのですが、先輩方のおかげで声優を続けられたと思っています。

三谷幸喜さんとの出会いも転機でした。三谷さんが劇団薔薇座の公演、そして劇団卒業後も私の芝居を見に来てくださっていて、「連続ドラマに出ませんか」と声を掛けてくださったのです。芝居を続けていたことが、テレビドラマの仕事につながっていったと思います。「アンパンマン」の声も長年やらせてもらっていますが、原作者のやなせたかし先生は私の人生の師です。声優の仕事をしていなければ、先生にお会いすることもなかったので、人との出会いは、一つのことからつながっているんだなと感じています。

さまざまな人との出会いから生まれた技術やノウハウが「わたし遺産」

思い返せば、私は10代の頃からずっと芸能の世界にいて、一度も外の世界に出ていませんが、そのことがさまざまな出会いにつながっていったと思います。川を泳いでいると、綺麗なフォームで泳げている時もあれば、ちょっとバタバタしている時、背泳ぎでプカ~と浮いている時もある。でも、いろいろな泳ぎをしながらも岸に一度も上がらなかったというのが、今の自分をつくっているような気がします。そして、節目節目に、タイヤや、木の棒切れが流れてきて、それに上手いことつかまって助けてもらい、何とか泳いできました(笑)。ボーッとしていたら出会えなかった人もいるかもしれません。自分なりに頑張ってきたからこそ、人生を変えるような出会いがあったと思います。

私の中で未来にのこしていきたい「わたし遺産」は、さまざまな出会いと、その出会いから生まれた技術やノウハウです。舞台、声優、テレビ、歌手と、今までにいろいろなジャンルの仕事をさせていただきましたが、さまざまな人との出会いを通して、それぞれのルールを習得できたことが、私の大きな財産になっています。それによって、今でもいろいろな仕事に向かっていけます。何か伝えるとしたら、「出会いを大切にしていくために、常にアンテナを張っていよう」ということ。ぼんやりしていると、人生を変える出会いのチャンスを見逃すことになるかもしれませんから。そして一生懸命でないと、出会いの手も差し伸べてもらえないかもしれません。「人との出会い」は「自分のスキル」につながっていくもの。これからも出会いを大切にしていきたいですね。

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