
自分自身に贈る「ここまで歩み続けてくれてありがとう賞」
※このインタビューは2024年7月に撮影いたしました。
『わたし大賞』とは、一人ひとりの心を動かした「人、モノ、コト」に光を当て、賞状とエピソードにして讃え、書く人、読む人の前向きな気持ちを共有することで、社会の「幸せ」を創造する活動――。昨年から始まった、三井住友信託銀行が主催する『わたし大賞』は第2回を迎え、今年も作品募集が始まった。2年前に現役を引退した元スピードスケート選手の髙木菜那さんが讃えたい『わたし大賞』は自分自身。競技を通じて得たこと、さまざまな出会い、そして妹(髙木美帆さん)とのことなどについて語ってくれた。
スケートを通じて教わったこと
私が生まれ育ったのは、北海道十勝の幕別町。小学校の校庭にはリンクがあって、授業でスケートをするような地域です。住民のほとんどが滑れますから、私にとって「スケート」は身近な存在でした。
実際にスケートを始めるきっかけになったのは、ある日、兄が国際大会のレース中継をテレビで見て「スピードスケートをやりたい」と言いだしたことです。私と妹は、まだ小学1年生と5歳。親がスケートリンクへ兄の送り迎えをしている間は、2人で留守番をしなければいけません。半年も続くと、もう寂しくて留守番をするのも嫌になり、親に訴えました。母の答えは「じゃあ、スケートを一緒にやってみる?」
私たち姉妹がスピードスケートの道を歩み出したのは、そんなことが始まりでした。
始めてみると、スケートが楽しいというより、小学校だけの世界ではなく外の世界に触れられることが楽しいことに気づきました。練習や大会でしか会えない友達や、ほかの地域の友達もでき、どんどん世界が広がっていく。当時はそれが楽しくてスケートを続けていたように思います。
高校生で初めてジュニアで世界大会に参加できるようになりました。日本しか知らない私は、今まで見てきた世界がどれだけ小さかったかを目の当たりにしました。妹が日本で一番だったので、妹に勝てたら世界一になれる……そんな感覚だったのですが、実際にはまったく戦えるようなレベルではありません。「あ、こんなに強い人たちが世界にはいるんだ」と思い知らされ、同時に、その強い選手に勝った時の景色を見たいと思うようになりました。その願いがあったからこそ今まで頑張れたのかなと感じています。

妹を超えたい気持ちが原動力に
世界大会で今までに金メダルをいくつか獲ることができました。その結果だけを見ると、自分でもすごいことだと思いますが、スピードスケートをやっていた頃は、自分のことを「速い」とか、「すごい選手」とか思ったことが一度もありません。やはり近くに妹という選手の存在があったので、その部分を乗り越えて自分自身だけを見るということができなかったのです。
中学から姉妹でスピードスケートをやってきましたので、その中で比べられることの葛藤だったり、外からの批判だったり、いろいろなことがありました。結構負けず嫌いで、姉妹という関係性の中でも勝ち負けにとらわれてきたという面があります。そうしたことがずっと心の中のどこかにあって、自己ベストを出した時も、優勝した時も、「妹に勝てていない自分は、すごくなんかない」「遅い」という思いが残るようになりました。
平昌の時、周りからは「金を2つ獲ったのは菜那だけだし、本当にすごいんだよ」「あなたにしかできなかったんだよ」と言われても、個人種目のタイムでは、やはり妹には勝てていないという現実がありました。当時は自分のことを信じ、自分を褒めてあげることすら、できていなかったように思います。
でも、キャリアの最終盤となる4年間をかけて、私自身としっかり向き合い、いろいろな辛いことを乗り越えて、北京でのレースや、世界選手権での現役最後のレースに臨むことができました。今までは「髙木美帆の姉」と言われると、それを「髙木美帆の姉だから(もっと強くなければいけない)」と捉えることが多かったのですが、最後の大会は「美帆の姉」としてではなく一人の「髙木菜那」として氷の上に立つことができたのです。そしてやっと私自身が本当に「速い選手」「強い選手」になれたと実感しながら、引退することができました。
妹・髙木美帆という選手は世界中で最も強く、私が最も尊敬する選手です。妹も私のことをリスペクトしていてくれて、私が強くなるためにアドバイスを求めると必ず真剣に応えてくれました。スケートのことはお互いに真剣に話し合う。それが姉妹の暗黙のルールのようなものでした。私が世界で戦ってこられたのも、妹があってのことだと思います。
私生活では普通に甘えてくることもあるし、お姉ちゃんを立ててくれるところもあります。私がやんちゃする時にはちゃんと止め役をしてくれましたし(笑)。すごくありがたい存在です。

スケートを通じて出会った人たち
スケートは苦しいこともありましたが、このスポーツをしていなければ、髙木菜那という選手は絶対にいなかったと思います。今まで出会った人も、スケートがあったからこそのつながりです。最高の仲間は本気でやったスケートでしか出会えなかったのだろうと思います。
北京最後のチームパシュートでは、佐藤綾乃選手、押切美沙紀選手、妹と私の4人、そしてコーチのヨハンで世界のトップを目指しました。世界のトップで戦い続けることができたのは、その夢を、同じ夢を、同じ方向を本気で目指して向かっていった仲間がいたからだと思います。あのメンバーに出会わせてくれたことは、本当に感謝したいと思います。
さまざまな人がいろいろなことを教えてくれて、私を成長させてくれました。中高生の時に参加した十勝のチームの先生方、高校を卒業して所属した社会人の実業団チームの人たち、スケートをやってなかったら出会えなかった人たち、出会えなかったら学べなかったことはたくさんあるはずです。何度もくじけそうになりましたが、スケートをあそこで諦めなくてよかったと思います。

諦めず頑張った自分に大賞を
スケートを始めて約23年間、常に妹の存在があって葛藤する中、別の道に行くこともできたけど、負けず嫌いであきらめずにスケートを続けてきました。以前はスケートをしている自分に自信を持つことができなかったけど、引退した今、やっと自分を褒めてあげたいという気持ちになれました。
世界大会に出場している選手の中で私はだいたい一番身長が低かったのですが、それを言い訳にせずに、正々堂々と戦うために努力してきたことも誇りです。ここまで頑張ったことを周りが認めてくださって、今までさまざまな賞をいただいてきました。でも引退してスケートと距離がひらいた今は、堂々と自分自身に対して「諦めずによく頑張ったね」という賞をあげられたらいいなと思います。
普段の私はポジティブなのですが、スケートをやっていた頃は、妹の存在もあってかそれほど前向きになれず、自己肯定感が低かったように思えます。ただ海外遠征などで感じることは、海外の選手ってポジティブで、自己肯定感が高い。日本人は自分のいいところや、自分の長所を見つけるのが、苦手なような感じがします。
でも、いいところも、できていることも、しっかり受け止めることで、また次に向かうことができるのです。それで新しい自分に変われるかもしれない。「すごい」ということを自身で認められるような自分でありたいと思います。
辛いことから逃げずに、この道を選び続けてきました。だからこそ、いろいろな気持ちを込めて、賞の名前は「ここまで歩み続けてくれてありがとう賞」にします。「誰にありがとう?」って感じですが、もちろん私自身にです! (笑)










