霊安室に並ぶ遺体 銃口は光州市民に 載らなかった写真が伝える惨劇

有料記事

武田肇
[PR]

現場へ! あの日、光州の街で③

 42年前に韓国で起きた光州事件を撮影した朝日新聞大阪本社写真部(当時)の青井捷夫(かつお)記者のフィルムは、試し撮りなどを含めて247コマあった。ただ、当時、朝日新聞の紙面に掲載されたのは10コマだけだ。

 海外から日本への通信事情の悪さが背景にあったが、青井記者が自ら判断して本社に電送しなかった写真もある。遺体が写った写真もその一つだ。日本の新聞では通常、倫理上の問題で掲載が難しい。

 ある1枚には、コンクリートの床や木製の台の上で、薄い布が掛けられた5人の遺体が写る。青井記者は手書きで「12の遺体が並べられていた。機動隊員が4人、一般市民が8人、大学生、高校生もまじっていた」と記していた。

 韓国・光州市の「5・18民主化運動記録館」の調査で、この写真は国立全南大付属病院の霊安室で撮影されたと確認された。記録館で7月末まで開催中の写真展で、「歴史の記録」として初めて一般公開された。

 撮影されたのは、青井記者が大阪本社社会部の斎藤忠臣(ただおみ)記者と光州入りして3日目の1980年5月21日だ。この日、全羅南道の道庁前で市民や学生とにらみ合っていた軍の兵士は、初めて集団発砲をした。ビルの屋上からの市民への狙撃や、ヘリからの機銃掃射もあった。こん棒や銃剣での鎮圧からのエスカレートだった。写真の遺体はその犠牲者とみられる。

 「私の記憶そのままだ」。5月25日、写真展会場を訪れ、写真を目にした鄭泰珍(チョンテジン)さん(71)は声を上げた。ソウル在住の会社員だった鄭さんは、出張で光州に来て事件に遭遇した。

 負傷した市民の救出活動を手伝い、市内の道場「尚武館」に開設された遺体安置所の管理係を任された。全南大付属病院の霊安室は冷蔵施設がなく、鄭さんは依頼を受けてトラックで遺体を引き取りに行ったという。

 「遺体に布が掛けられたのは棺が足りなかったからだ。当時の状況を伝える意味深い写真だ。よく撮ってくれていた」

 頭のない男性の遺体。乳房が…

この記事は有料記事です。残り584文字有料会員になると続きをお読みいただけます。

※無料期間中に解約した場合、料金はかかりません

この記事の続きを読むなら今がお得。初回1カ月無料+Visaギフトカードが当たる▶今すぐ登録

この記事を書いた人
武田肇
広島総局員
専門・関心分野
原爆・平和、朝鮮半島、鉄道

関連トピック・ジャンル