ROLEX & WECうまくいかないときこそ
成長のチャンス。
次なる伝説へ駆け続ける
耐久レースを制する道のりは、人生の軌跡に重なる――。ドライバーとしてル・マン24時間耐久レース3連覇を果たし、現在は、トヨタ・ガズー・レーシング・ヨーロッパ(TGR-E)副会長を務める中嶋一貴は「実力だけでなく、運もつきもの。そこに耐久レースのおもしろさがある」と語る。FIA世界耐久選手権(WEC)の魅力を追う企画の第2弾は、中嶋のスペシャルインタビューをお届けする。チームディレクターとして参加した9月の「富士6時間耐久レース」やドライバー人生を振り返りながら、その言葉に込めた真意を探った。
天気やアクシデント
── 展開が読みにくい耐久レース
©Rolex/James Moy
——2025年の富士6時間耐久レースを振り返って
富士スピードウェイは、我々にとってホームコースです。今年は3日間で過去最多の6万6400人が観戦したと聞いています。スタンドが黒と赤のチームのユニホームで埋まっていて、その光景は大きなエネルギーになりました。こうした雰囲気の中でレースを戦えるのは、外国人を含むチームメンバーにとって非常にありがたいことですね。
WECシリーズ第7戦「富士6時間耐久レース」(静岡県小山町)は9月26~28日に開催され、最高峰のハイパーカークラスに8メーカー計18チームが参戦した。接触が相次ぎ、2台の車両がクラッシュでリタイアする波乱の展開となった。壮絶な闘いの末、アルピーヌ・エンデュランス・チーム(フランス)が総合優勝し、幕を閉じた。
トヨタ・ガズー・レーシング(TGR)からは2台が出走。7号車は一時首位に浮上したものの、セーフティーカーの入ったタイミングが影響し、8位でフィニッシュした。8号車は序盤、ピットに入れないフルコースイエロー(FCY)のタイミングで後方の車両から追突を受け、やむなく緊急ピットイン。その後、FCYの手順違反により3分間の「ストップ&ゴー」というペナルティを科され、16位フィニッシュとなった。
耐久レースは、さまざまな準備に加えて、ピットストップ時のタイヤ交換や給油作業、マシントラブルの修復といった、メカニックの速さや正確さも勝負に関わってきます。日々のテストや練習といった積み重ねが、最終的に力になります。
ただ、100%の力を出し切ったからといって、必ずしも勝てるとは限らないのが耐久レースの難しいところです。天気や接触事故が起きるタイミングなど、自分たちでコントロールできない要素が勝負に絡んできます。なので、僕らはよく「最後は神頼みだね」と話しています。これも耐久レースの難しさであり、おもしろさだと思います。
ドライバーだったときは、シーズンの頭に神社でもらったお札をマシンに貼っていました。この場所に貼ると効く、ここはダメとか考えちゃって(笑)。
ル・マンのゴール3分前。
優勝を確信した矢先……
——ゴールの瞬間まで勝負はわからないもの
まさに、それを象徴するレースが2016年のル・マン24時間耐久レースです。その前年のル・マンで他のメーカーに技術面で引き離された反省から、17年以降に投入予定だったエンジンなどの部品を前倒しで開発し、万全とはいえない準備状況で挑んだ年でした。
2016年のル・マン24時間耐久レース。レース終了目前、無線を通じて中嶋がステアリングを握るトヨタ5号車から「ノーパワー!」の無声が響いた。その後走行を続けることができず、ゴール3分前にマシンを停止した。後にトヨタは、吸気ダクト回りの不具合が影響したと分析した。5号車はファイナルラップを走り切ることが出来る状態となったものの、その対応に時間がかかり、規定されている6分以内にファイナルラップを終えることが出来なかった。
レースは順調に進み、チームもミスなくパフォーマンスを発揮して、23時間57分までライバルをリードしていました。「さすがにこれは勝てるかな」と思った矢先に車のハードウェアトラブルが発生し、結果的に優勝を逃しました。ゴールするまで何が起きるかわからないということを、これ以上ない形で思い知らされました。
——その後どうやって気持ちを切り替えたのか
今だから笑って話せますけど、車を降りてからは、なんともいえない……。悔しいというより虚無感に襲われましたね。ただ、トラブルの原因がハードウェアだったので、自分以上に悔しい思いをしている人がいるのは感じていました。自分が落ち込んでいてもしょうがないな、と。
優勝こそ逃したけれど、23時間57分まで自分たちがやるべきことをやり、「勝つに値するレースができた」という事実もポジティブに捉えました。「自分たちもやれるんだ」という手応えが気持ちを切り替える上で大きな要素だったと思います。
ル・マン優勝で贈られる時計、
コスモグラフ デイトナは「金メダルのような重み」
2017年のル・マン24時間耐久レースは、TGRから3台が参戦し、最高位が中嶋ら8号車の8位だった。そして2018年に中嶋は8号車で悲願の総合優勝を果たす。日本人ドライバーが乗った日本車の優勝は史上初。小林可夢偉らがドライブする7号車も2位でゴールし、ワンツーフィニッシュが話題となった。その後、中嶋は8号車で2019年と2020年のル・マンでも総合優勝した。
——2016年の悲劇から2年後にル・マンで初優勝を飾り、記念品としてロレックスの腕時計コスモグラフ デイトナが贈られた
2016年の経験がチーム全体を大きく成長させ、初優勝に繋がったのだと信じています。コスモグラフ デイトナを初めて手にしたときは、純粋にテンションが上がりましたね。裏蓋に、ル・マンのロゴとWINNER 2018と刻まれていて、特別な価値を感じます。ドライバーみんながあこがれをもつ金メダルのような重みのある腕時計です。ただ、思い出がありすぎて、傷つけたくないからしょっちゅうは使いたくないですね(笑)。
——ロレックスはWECのオフィシャルタイムピースで、ル・マンのエクスクルーシブメジャーパートナーおよびオフィシャルタイムピースでもある
自分たちが戦っている選手権に大きな価値を与えてくださっている、心強い存在ですね。それだけ価値のある場所でレースができるというのは、ドライバーにしても、チームにしても大きな意味がある。自分たちもいろんな形で価値を生み出す場面をつくっていきたいですね。
レースは、観戦してくださるファンや支えてくれる皆さんがいてこそ。今年の富士6時間は、接戦の中で接触もあり、ドラマのある展開でした。そういう意味で、レースを楽しんでいただけていたらいいな、と思います。耐久レースは長丁場なので、キャンプをしながら観戦するなど、いろんな形の楽しみ方があります。それをもっと広めていきたいと思います。
©Rolex/James Moy
F1で結果を出せなかった
キャリアあってこそ
——ル・マン優勝までの道のりは平坦ではなかった
2003年からプロとしてフォーミュラーカーレースに参戦するようになりましたが、そのキャリアはざっくり言えばうまくいかなくて……。(海外のF1チームで)シートがなくなって日本に戻って、2012年からWECに参戦するようになりました。
F1では結果こそ出せなかったのですが、自分が成長する機会でした。その経験がWECなどで間違いなく生きていますし、あの経験がなければ今の自分はいません。うまくいかなくても、そこで得たものは必ずどこかで生かせることを体験した。そのことが、2016年のル・マンをはじめ、ネガティブな気持ちをポジティブに切り替える、今のメンタリティに繋がっているのだと思います。
2021年のWEC最終戦「バーレーン8時間」で、中嶋は8号車を駆り、総合優勝。そのレースを最後に、現役ドライバーを退いた。引退後は、トヨタ・ガズー・レーシング・ヨーロッパ(TGR-E)の副会長に就任。ドイツを拠点に、モータースポーツの運営や後進のドライバー育成に携わっている。WECでは、チームディレクターとして全体のまとめ役も務める。
——ドライバーとして数々の偉業を達成してきた
ドライバーとして達成できたこともあるのですが、もっとできたこともあるな、と思うところもありますね。今はチームを率いる立場として達成したいことがたくさんあります。まずは、ル・マンで勝つこと。そして、ル・マンを通して、カーボンニュートラル(※)を実現させるための新しい技術革新を起こしていくことも我々の使命だと考えています。レースに関わる人間は欲張りなので、ひとつ達成したら終わりではなく、常に「次」を考えています。
(※)温室効果ガス(CO2)の排出量を、森林保全やCO2の回収技術で吸収し、トータルで「ゼロ」の状態にすること。
——これからなにかに挑戦しようとする人たちへメッセージを
モータースポーツはうまくいかないことの連続です。しかし、うまくいかないことの中にこそ、成長のチャンスが必ずあります。できなかったことを理解すると同時に、なにかひとつでも「できたこと」を見つけて自信にする。その繰り返しだと思います。
新しいことにチャレンジするときは誰でも不安ですが、一歩踏み出さないことが一番良くない。やればなんとかなるし、うまくいかなくてもそこからまた進めばいい。やるべきことをやっても不安は残るものですが、その不安を理由に挑戦をやめないでほしいですね。
中嶋 一貴(なかじま・かずき)
1985年1月、愛知県出身。カートレースで実績を挙げ、デビュー戦となった2003年の「フォーミュラ・トヨタ」でシリーズチャンピオンに。2011年からはフォーミュラ・ニッポン(現・全日本スーパーフォーミュラ選手権)にトムスから参戦し、12年と14年には年間チャンピオンに輝いた。WECには、12年からTGRのレギュラードライバーとして参戦。ル・マン24時間では18~20年で3連覇を達成。18-19シーズンには5勝して日本人初の年間ドライバーズチャンピオンになった。21年引退後は、TGR-Eの副会長に就任。
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