ROLEX & SailGPマンハッタン摩天楼が
乱す風——
最高時速100キロ、勝敗を
分けた一瞬
© Rolex/Jason Ludlow For SailGP
風とテクノロジーがせめぎ合う次世代セーリングリーグ「Rolex SailGP」。超高層ビルが林立するマンハッタンの眼前で繰り広げられるニューヨーク大会は、複雑に乱れる風と高速艇の性能がぶつかり合う、屈指の難コースとして知られる。5月30、31日に開催された今大会は、オーストラリアが激戦を制し、3大会連続優勝を達成した。わずかな風の変化と一瞬の判断が勝敗を分けたこのレースを、セーリング解説者・後藤浩紀がひもとく。(敬称略)
「読めない舞台」
ニューヨーク
レースエリアを囲む超高層ビルや巨大建築物が風を不規則に乱し、予測困難なコンディションを生み出す。世界各地で開催されるRolex SailGPの中でも、ニューヨーク大会は選手を最も悩ませる舞台のひとつだ。
今大会も風向きは右に左に大きく振れ、風が弱まったかと思えば局地的に強い突風が吹き込むなど、超一流の選手たちをもってしても読み切れないコンディションとなった。
さらに、レースエリアを横切るハドソン川の流れが、艇を横に押し流し、常に走りに影響を与える。方向転換のたびに、どの程度コースからずれるかを見極める必要があった。
© Rolex/Simon Bruty for SailGP
今大会は風に恵まれ、レース艇は最高時速100キロに迫るスピードに達した。海面にはGPSで管理された見えない境界線が設定されており、それを越えるとペナルティーとなる。限られたレースエリアに12艇がひしめき合う中、わずかな操作ミスが順位に直結する。マンハッタンの目の前で、スタートからフィニッシュまで一瞬たりとも気を抜けない高密度なレースが繰り広げられた。
逆転が逆転を呼ぶ
展開に
全艇が参加するレース(フリートレース)を勝ち抜き、カナダ、イギリス、オーストラリアの3チームがファイナルに進出した。ファイナルは3艇のみで競い、ここでの着順がそのまま大会の最終結果となる。
重圧のかかる中、完璧なスタートを決めたのはトム・スリングスビー率いるオーストラリア。2019年のRolex SailGP開幕から、3シーズン連続の年間総合チャンピオンに輝いた最強王者だ。そこに食らいつこうと追うのはイギリスだ。ベテランからドライバーの座を受け継いだ、若いディラン・フレッチャーが風下ゲートマーク*で勝負に出た。
*ゲートマーク: コースの折り返し地点にある門のこと。SailGPでは目印となる浮遊物(ブイ)を2個並べて、門をつくる。このとき、左右どちらのブイをまわるかによって結果が大きく左右される。
風向きの読みが難しい中、あえて不利と見られていた左側コースを選択。オーストラリアとは反対側に回り込み、有利な風をつかむ作戦に出た。これが当たり、一気にオーストラリアとの差を詰める。さらにハドソン川の流れを捉え、イギリスが一気にトップに立った。
© Rolex/Katelyn Mulcahy for SailGP
追い抜かれたオーストラリアも譲らない。イギリスと同じく左側のコースを選択する賭けに出た。リスクを承知で、艇速が落ちる方向転換(ジャイブ)を2度繰り返す「ダブルジャイブ」に踏み切り、風下の左ゲートマークを回ったのである。
先行するイギリスは、リスクを冒さず右コースへ。そして2艇は見事にひとつ前の区間(レグ)と同じようなコースをたどり、オーストラリアが再逆転に成功した。やられたらやり返す。川の流れを利用するところまで、判で押したように同じだった。
この時点で、カナダは大きく遅れ、最後の風下区間の勝負はオーストラリアとイギリスの一騎打ちとなった。
イギリスが再び逆転するには、オーストラリアよりも先に方向転換するしかない局面だった。イギリスはそのセオリー通り、早めに方向転換を仕掛けた。相手より先に進路を変え、より有利な位置を確保するためだ。この判断により、オーストラリアは風を受けにくい位置に追い込まれた。あとはイギリスがオーストラリアを風の影(シャドー)に入れたまま、ゴールまで逃げ切るだけだった。
思わず叫んだ。
「危ない!無理だ!」
© Rolex/Katelyn Mulcahy for SailGP
風の位置ではイギリスが有利だったが、ルール上はオーストラリアが優位に立っていた。すなわち、接近した場面ではオーストラリアが進路を優先できる立場にあった。イギリスは有利な風を生かして外側から前に出ようとし、オーストラリアはそれを進路で抑え込む。そんな攻防が続いていた。
時間にしてわずか30秒ほどの直線。イギリスは少しずつ前に出て相手を風の影に入れ、減速させながらチャンスをうかがう。
両艇はともに右側から風を受けていた。この状態で方向転換し、相手の進路を妨げるのはリスクが大きすぎる。それでもギリギリ前に出られると判断し、イギリスは勝負に出た。
「危ない!無理だ!」
実況中継をしていた私も思わず叫んでしまうほどの近距離だった。だが実際には、後に公表されたGPSの航跡が示す通り、わずかに前を通れるだけの差があった。映像では実際よりも距離が近く見えるため、接触寸前に見えていたのだ。
前を切られると直感したオーストラリアも、ほぼ同時に方向転換する。Rolex SailGP史上最も肉薄したファイナルは、わずかな減速の差で明暗が分かれ、オーストラリアが競り勝った。
これでオーストラリアは、リオデジャネイロ大会、バミューダ大会に続く3大会連続の優勝。敗れたイギリスも互角以上の内容で、シーズン後半のさらなる戦いが期待できそうだ。
勝敗を分ける
「チームの力」
Rolex SailGPで使用される艇「F50」は、すべてのチームが同じ形状、同じ重量のワンデザインだ。飛行機の翼のような硬い帆(ウィングセール)や水中翼(ハイドロフォイル)のサイズも、コンディションに応じて運営側が指定するため、事実上、道具による有利不利は生まれない。
それでも結果に大きな差が生まれるのはチームの連携という総合力の差がある。
ドライビングを担当するスリングスビー(オーストラリアチーム)やフレッチャー(イギリスチーム)といったトップセーラーであっても、一人でできることには限界がある。巨大なウィングセールや水中翼を操りながら、刻々と変わる自然環境の中でF50を走らせるには、クルー全員の動きがかみ合っていなければならない。
F50には125ものセンサーが搭載されているが、そこから得られるのは現在の風向きや風速といった“いま”の情報に過ぎない。優れたセーラーたちは、その先に起きる変化を読みながら動く。
ファイナルを決したオーストラリアの最後の方向転換においても、判断はその場で生まれたものではない。風の変化や相手の動きを先読みし、事前に準備を整えていたからこそ、あの一瞬を逃さずに動くことができたのだ。
F50は1艇に5~6人のクルーが乗り込み、それぞれが役割を担っている。ハンナ・ミルズ(イギリスチーム)やタッシュ・ブライアント(オーストラリアチーム)は艇に乗り込み、操作を担いながら風や相手の動きを読み取り、ドライバーに伝える重要な存在だ。ときには意思決定にも関わる。
優れたチームは常に情報を共有し、それぞれが目となり耳となって機能する。だからこそ、トップチームのセーリングは無駄がなく、美しいのだ。
シーズン後半へ、
続くセーラーたちの戦い
© Rolex/Jason Ludlow For SailGP
今大会の初日は突風の影響で、F50を海上に降ろすクレーン作業が難航し、公式レースは開催できなかった。天候に大きく左右されるのは、セーリング競技の宿命である。
風が落ち着いた2日目も、事前練習で海中の浮遊物に接触して艇が損傷したり、油圧系の不調でリタイアしたりと、トラブルが発生するチームが相次いだ。
その象徴的な出来事が第3レースのスタートだ。イタリア、ブラジル、アメリカの3艇が絡む大クラッシュが発生し、いずれも航行不能となった。地元アメリカチームが暫定首位と好調だっただけに、惜しまれる展開となった。
シーズン6も後半に入り、リーグ全体の盛り上がりにはオーストラリアとイギリスに対抗する存在が望まれる。シーズン4王者のスペインや、今季躍進を見せるアメリカ、そして次戦のカナダ・ハリファクス大会から復帰するニュージーランドが、トップ2を脅かしてくれることを期待したい。天候やトラブルさえもドラマに変えながら、セーラーたちの熱い戦いは続いていく。
後藤 浩紀 (ごとう・ひろき)
1973年、福岡県生まれ。学生時代からセーリングに取り組み、国内外のレースで経験を重ねてきた。国内セーリングにおいて、船体を水面から持ち上げて抵抗を減らし、スピードを引き出す「フォイリング(翼走)」技術の第一人者。現在はフォイリング技術を用いた一人乗りの超軽量ヨット「モス級」のトップセーラーとして活躍している。世界最高峰のヨットレースであるRolex SailGPやアメリカズカップでは解説者としても活動。力学や最先端のテクノロジーに基づき、「なぜ速いのか」「水面下で何が起きているのか」を言語化する解説に定評がある。


