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栄冠を手に
アスリートたちの物語

ROLEX & Golfタイガーに憧れた少年、世界の頂へ——
松山英樹、道なき道を
歩み続けて

インタビュー後にリラックスした表情をみせる松山英樹
インタビュー後にリラックスした表情をみせる松山英樹

ゴルフ界で世界最高峰の「PGAツアー」(米国男子ツアー)に身を置いて13年目のシーズンが幕を開けた。日本人初の快挙となった2021年のマスターズ制覇を含め、松山英樹が手にしてきたタイトルはアジア出身選手として歴代最多の11勝にのぼる。20代で海を渡り、世界に打ち勝った挑戦者として語られることが多いが、松山が常に向き合ってきたのは「昨日の自分」だった。その背中を越えるためにトライアンドエラーを繰り返してきたという。2025年冬のオフシーズン、日本に一時帰国していた松山への独占インタビューが実現。あの歴史的瞬間や、これまで歩んできた道のりを語ってもらった。(敬称略)


ガッツポーズが出なかった、マスターズ優勝
の瞬間

マスターズ優勝を喜ぶ、ロレックス テスティモニーの松山英樹©Rolex/Augusta National 2021
マスターズ優勝を喜ぶ、ロレックス テスティモニーの松山英樹
©Rolex/Augusta National 2021

コロナ禍の2021年4月、日本のゴルフ界は歓喜の涙を流した。米国ジョージア州のオーガスタナショナル・ゴルフクラブで行われた「マスターズ」で松山が初優勝。「全米オープン」「全米プロゴルフ」「全英オープン」と並ぶ男子ゴルフの4大メジャー大会を日本人として史上初めて制した。2位に4打差をつけて迎えた最終ラウンド(4日目)に1オーバー73と苦しみながらリードを守り抜き、歴史的快挙を遂げた。

——マスターズ優勝のシーンは、ガッツポーズがなかったのが印象的だった。

本当なら勝った喜びを体で表したかったと今でも思います。僕たちの世代はタイガー・ウッズの力強い勝ち方、カッコいいガッツポーズに憧れてきましたから。しかし当時は緊張から解放された、ホッとした気持ちでいっぱいでした。最終ホールが(基準より1打多い)ボギーだったこともあって、その日のプレーとしてはちょっとダメだったかなって(笑)。

優勝を実感したのはカップからボールを拾い、早藤(将太)キャディと握手して、抱き合ったときでした。グリーンを下りて『勝ったんだ』という思いがさらに強くなりましたね。


4歳ではじめたゴルフ、徹底した父の素振り指導

——愛媛県松山市で生まれ、父・幹男さんの指導でゴルフを始めた。

1歳半のときにはクラブを持っていたそうです。本格的に始めたのが4歳頃。小学校1年生で初めてゴルフ場を回ってからは夢中になりました。

——父親はアマチュアゴルフ界の実力者。

幼い頃はゴルフ場、練習場にあまり連れて行ってもらえず、自宅で素振りばかり。正直なところ、楽しくはありませんでした(笑)。練習では、ただ素振りの回数をこなすのではなく、体のどこをどの順番で動かすのか、どこに力を入れるのか、スイングの形をどう意識するか——。そんな根本的な部分を徹底して教え込まれました。よく怒られましたが、1週間、2週間とひたすら素振りばかり続けた後、久しぶりに練習場に行き、前回と違うショットが打てたときの喜びは今でもよく覚えています。

幼少期を振り返る松山=撮影・山田英博
幼少期を振り返る松山=撮影・山田英博

中学2年の春には親元を離れ、強豪ゴルフ部のある高知県の明徳義塾中に編入。同高2年時の08年に全国高校選手権で優勝するなど頭角を現したが、当時、日本のゴルフ界では、同学年でいち早くプロ転向した石川遼が脚光を浴びていた。

——プロゴルファーを志したのは。

小学校低学年の頃、愛媛のコースで合宿をされていたプロゴルファーの青木功さんにお会いしたことがきっかけで、「プロゴルファーになりたい」という気持ちが芽生えたように思います。テレビでプロ野球を観るのも好きでしたが、明徳義塾中学に編入してからは本気でゴルフに打ち込むようになりました。

高校3年生のとき、進学するか、プロの世界でやっていけるのかを真剣に考えるようになりました。明徳義塾高校時代に部活の練習で通っていた高知のゴルフ場では、毎年男子プロゴルフツアーが開催され、日本のトッププロが自分たちとは次元の違うスコアで回る姿を目の当たりにしました。それを見て「自分にはまだダメだろうな」と思い、大学進学を選びました。

真剣にプロを思い描くようになったのは、東北福祉大学に入学してからでしょうか。先輩部員やプロゴルファーのOBと一緒にプレーする機会が増えるにつれ、自分の中の意識が少しずつ変わり始めました。

マスターズ出場権を手に、信夫杯と朝日杯に臨む18歳の松山=2010年10月撮影、朝日新聞社提供
マスターズ出場権を手に、信夫杯と朝日杯に臨む18歳の松山=2010年10月撮影、朝日新聞社提供

——マスターズを1カ月後に控えた3月11日に東日本大震災が発生した。

東北福祉大学は仙台にあり、マスターズへ行くべきかどうか、自分だけでは決断できませんでした。「行けるんだ」と思えたのは、大学に届いた数え切れないほどの応援メッセージのおかげです。被災地のためにも頑張りたかった。

結果的に、(出場アマチュアの最高位である)ローアマチュアのタイトルを獲得することはできましたが、最終日は完全にへたばってしまった。優勝したシャール・シュワルツェル選手が最後の4ホールをすべてバーディで締めくくる姿を見て、世界のトップとの差を痛感しました。体力も集中力も、世界のトップに遠く及ばないことを肌で感じ、「もう一度、ここでプレーしたい」と強く思い、意識が変わりました。


近いようで遠かった優勝、涙を決意に変えて

マスターズに出場した2011年の秋、アマチュアながら日本のプロツアー「三井住友VISA太平洋マスターズ」で優勝。その戦績によって得た資格をもとに、2013年4月にプロへ転向した。新人にして日本ツアーで年間4勝を飾り、21歳で賞金王に輝くと、翌年には主戦場をPGAツアーへ移行。その1年目で早くも初優勝を飾った。

三井住友VISA太平洋マスターズ。アマチュアでツアー優勝を果たした松山=2011年11月、朝日新聞社提供
三井住友VISA太平洋マスターズ。アマチュアでツアー優勝を果たした松山=2011年11月、朝日新聞社提供

——メジャータイトル獲得は悲願だった。

「全米オープン」(10位)、「全英オープン」(6位)でトップ10入りした2013年当時は、「確実にメジャータイトルに近づいている」という実感がありました。しかし、その後は「少しずつ前には進んでいるけれど、まだ道のりは遠い」という感覚に陥りました。「絶好調であれば優勝に近いところまでは行ける。でも、勝ち切る実力はまだない」という感じで。プロ1年目の13年に見えていた世界と、14年以降に広がった景色は、まったく違いました。

——メジャー優勝に最も近づいたのは17年の「全米プロゴルフ」。首位で迎えた最終日の後半に逆転負けし、悔し涙を流した。

16年の後半から調子が上向き、勝利を積み重ねていった。17年「全米プロゴルフ」の前週にはWGCブリヂストン招待で優勝。自分でも「一番いい流れで入れた」と実感して迎えたメジャーでしたが、体力はもちろん。心の限界が来ていた。「優勝できる、行けるぞ」と思った最後の最後に力が追い付かなかった。

——それから約4年後、マスターズでメジャー初優勝した。

正直、これほど時間がかかるとは想像していませんでした。しかし、敗れた「全米プロゴルフ」最終日に、自分のゴルフを根底から揺るがすようなワンショットがありました。今でも鮮明に思い出すほどのミスです。その後は迷走した時期もありましたが、最終的に「自信がもてるスイングができるようにするしかない」と考えるようになりました。


憧れのヒーローに
「チャンピオン」と
呼ばれて

——米国に渡り、最初の絶頂期にあった16年からロレックス テスティモニーになり、共に苦難の道のりを経て21年マスターズで大願を成就させた。

ロレックスの王冠マーク(クラウンマーク)は4大メジャーをはじめ、世界中のあらゆるゴルフ場、試合会場にあって、若い頃から「いつか自分もロレックスの時計を付けられたらいいな」と思っていました。だから、テスティモニーになったときは「僕でいいの?」という感じでした。

(左)2番ホールのショットを放つ松山英樹 (右)第2ラウンドの4番ホールでショットを放つロレックス テスティモニーのタイガー・ウッズ=いずれも2023年マスターズ©Rolex/Augusta National 2023
(左)2番ホールのショットを放つ松山英樹 (右)第2ラウンドの4番ホールでショットを放つロレックス テスティモニーのタイガー・ウッズ=いずれも2023年マスターズ
©Rolex/Augusta National 2023

——マスターズでの優勝がもたらしたものは。

自分のことよりも、周りに変化があったように思います。PGAツアーでプレーする日本人選手が僕だけという時期も続きましたが、今では他に4人がレギュラーメンバーにいます。当時、テレビでマスターズを見てくれた小学生は今、中学生、高校生になっているかもしれません。そういった若いゴルファーが将来、米国での活躍を目指したり、視線の方向が変わったりしたらいいなと思います。

僕にとっては5歳のときにテレビで見たタイガーがそういう存在として今でも変わりません。前年優勝者として出場した22年のマスターズの練習場で久々に再会したとき、突然「ヘイ!チャンピオン!」と声をかけられたのが一番の思い出。本当にうれしかった!


不安や迷いが続い
ても——
諦めない背中を
追い続けて

日本の男女ゴルファーも海外を舞台にした活躍を期待されることが当たり前になった。松山は2月に34歳に。その大きな背中を追って20代の選手たちが続々と海を渡っている。

——PGAツアー13年目のシーズンを迎えようとしている。

「世界でやっていける」という確信は、ずっとないです。ずっとない。いつだって「ここからいつ振り落とされるか分からない」という不安や危機感の方が大きい。まわりからは「練習量が多い」と評価されることがありますが、それも不安で、不安で仕方がないから。年齢を重ねて、どうにもできない不安が大きくなっていて、デビュー当時のような気持ちの割り切りもできなくなりました。

マスターズで象徴的なホーガン・ブリッジを渡る松山英樹、2021年©Rolex/Augusta National 2021
マスターズで象徴的なホーガン・ブリッジを渡る松山英樹、2021年
©Rolex/Augusta National 2021

——努力や挑戦を続ける難しさとは。

他の選手と比べれば、自分の努力はまだまだ……。13年にたまたまPGAツアーのシードが獲得できて、今もアメリカでプレーできているだけ。ゴルフそのものが楽しいからこそ、「自分は本当に挑戦をしてきたのだろうか……」と考えてしまうこともあります。

ただ、メジャーで勝つことへのトライだけは、ずっと続けてきたつもりです。PGAツアーでももっと優勝して、タイガーの通算82勝という記録に少しでも近づきたい。日本の男子ゴルファーとして、限界まで功績を残せるように頑張りたいですね。

タイガーは、どれほど大きなけがをしても決して諦めません。2019年のマスターズでは、11年ぶりに、43歳でメジャーを制しました。僕が優勝したバハマのヒーローワールドチャレンジの会場でも、彼は黙々とリハビリに取り組んでいました。その姿を見ているからこそ、僕もこの歩みをやめるわけにはいかないと思うのです。


松山英樹
撮影・山田英博

松山英樹(まつやま・ひでき)

1992年2月、愛媛県出身。アマチュアとして初出場した2011年の「マスターズ」でアジア出身選手として初めてローアマチュア(ベストアマ)のタイトルを獲得。プロ転向した13年に日本ツアーで4勝を挙げ賞金王に輝く。14年から米国ツアー(PGAツアー)を主戦場とし、同年「ザ・メモリアルトーナメント」で初優勝。10回目の挑戦となった21年のマスターズで日本の男子ゴルファーとして史上初めて4大メジャー大会を制した。PGAツアー通算11勝はアジア人として最多勝。

制作協力:ゴルフダイジェスト・オンライン(GDO)
ライター:桂川洋一/撮影:山田英博


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