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栄冠を手に
アスリートたちの物語

ROLEX & Tennisあの日、夢の舞台に
立った——
松岡修造と杉山愛が語る、ウィンブルドン愛

松岡修造と杉山愛

白いウェアが、芝の緑に映える。静寂を切り裂く一球。その余韻の先に、やわらかな拍手が広がる。今年も、ウィンブルドン選手権が幕を開ける。なぜこの場所は「テニスの聖地」と呼ばれるのか――。出場経験のある松岡修造と杉山愛が、その記憶をたどった。(一部敬称略)


世界もびっくり!センターコートでの「でんぐり返し」

ウィンブルドンの思い出を語る松岡修造(写真右)と杉山愛。あこがれが詰まったウィンブルドンの思い出は尽きない
ウィンブルドンの思い出を語る松岡修造(写真右)と杉山愛。あこがれが詰まったウィンブルドンの思い出は尽きない

ウィンブルドン選手権は、毎年6月下旬から7月にかけて、ロンドンで約2週間にわたり開催される。第1回大会は1877年で、テニス四大大会(グランドスラム)の中で最も長い歴史をもつ。白いウェアの着用や天然芝のコートなど、伝統を守り続けていることでも知られる。メインコートは「センターコート」と呼ばれ、上位シード選手の試合をはじめ準決勝や決勝といった、重要な試合の舞台となる。

——ウィンブルドンで戦ってきたお二人、中でも「センターコート」の思い出は特別だとか

松岡: 僕は「ウィンブルドンのセンターコートに立ちたい」という夢があって、そこを目指して世界の中で戦ってきたんです。ラッキーなことに、ベスト8に入った翌年、1996年の2回戦で元ウィンブルドンの優勝者のミヒャエル・シュティヒ選手(ドイツ出身)と当たったことで、センターコートに立つことができました。

本当に、自分へのご褒美みたいな舞台でした。芝に立ったときのフワフワ感、ロッカールームの特別な雰囲気、すべてがほかとは全然違う。歴史上の名プレーヤーと同じ景色を見ているのだと思ったら、試合前に感極まって涙が止まらなくて……。試合は僕からのサーブだったんですけど、足が動かなくなるくらい緊張してしまいました。しょうがないから、芝生の上ででんぐり返しして・・・。観客も、世界中の視聴者も「え?」って感じでびっくりしたと思います。

杉山: さすが松岡さんですね!

松岡: ウィンブルドンのセンターコートで試合前にでんぐり返しをしたのは、たぶん僕が初めて。ルール上ダメだったら注意されていると思いますけど、コートの後ろのほうでやりましたしね(笑)。観客も、対戦相手も笑っていました。でも、それに助けられたんです。ふっと緊張が取れて、4セットで負けはしましたが、思っていたよりいいプレーができましたね。

杉山: 夢の舞台で自分を表現している感じがすごいです。私にとってもセンターコートは夢の舞台でした。小さい頃、自宅の階段にセンターコートのポスターが貼ってあって、毎日それを見ながら育ったんです。当たり前のように「ここに立ちたい」と思うようになりましたね。

ウィンブルドンのセンターコート。2009年に開閉式の屋根が設置され、天候に左右されずに試合ができるようになった © Rolex/Jon Buckle
ウィンブルドンのセンターコート。2009年に開閉式の屋根が設置され、天候に左右されずに試合ができるようになった © Rolex/Jon Buckle

松岡: 僕がセンターコートに立てたのはその1回きりですが、愛さんはダブルスも含めて何度も踏んでいますよね。

杉山: 初めてセンターコートに入ったのはダブルスでしたが、シングルスで2回立ったときの方が緊張しました。2004年に準々決勝でマリア・シャラポワ選手(ロシア出身)と対戦したときと、2006年に3回戦でマルチナ・ヒンギス選手(スイス出身)と対戦したとき。本当に、これ以上ない相手と、これ以上ない舞台でした。

松岡: ダブルスとは緊張感が違う?

杉山: もちろん緊張感はあるんですけど、ダブルスはパートナーと「楽しもう!」と、和気あいあいとした感じだったので。センターコートの芝の感覚より、そのパートナーとのテンションみたいなものが記憶に残っているんですよね。でもシングルスは1人なので、余計に興奮しました。「うわっ、こんなところに入ってきちゃった!」って(笑)。


じゅうたんのような芝の感触、「今も体に残って
いる」

1995年のウィンブルドンで、松岡修造は4回戦でマイケル・ジョイス(米国出身)にストレート勝ちし、ベスト8進出を決めた。日本人男子として62年ぶりの快挙。勝利が決まると、松岡はコートを駆け回り、喜びを爆発させた。

——コートを駆け回るシーンは有名になった

松岡: あれだけ喜ぶ人はいないですよね(笑)。僕のテニススタイルはどこかあか抜けなくて、泥くさくて、あの瞬間、そういうものが全部出てしまいました。イギリスのニュースでも、「こんなに喜んでくれたらうれしいね」という感じで評価してもらったくらい。

1995年ウィンブルドン選手権男子シングルス。ベスト8進出が決まり、喜びを爆発させる松岡 写真:ロイター/アフロ
1995年ウィンブルドン選手権男子シングルス。ベスト8進出が決まり、喜びを爆発させる松岡 写真:ロイター/アフロ

杉山愛は、2000年代にダブルスで計4回の準優勝を経験。03年にはキム・クライシュテルス(ベルギー出身)とのペアで頂点に立った。シングルスでも04年にベスト8入りを果たしている。

松岡: 愛さんはダブルスで2003年に優勝しているから、愛さんだからこそ知っている頂点に立ったときの景色があると思います。あそこでトロフィーを掲げる感覚はどんな感じなんですか。

2003年ウィンブルドン選手権女子ダブルス。ペアのキム・クライシュテルスと共に優勝トロフィーを掲げる杉山(写真左) 写真:AP/アフロ
2003年ウィンブルドン選手権女子ダブルス。ペアのキム・クライシュテルスと共に優勝トロフィーを掲げる杉山(写真左) 写真:AP/アフロ

杉山: やっぱり特別ですよね!(英国王室メンバーや世界のVIPが座る)ロイヤルボックスに上がってトロフィーを掲げるので。パートナーのキム・クライシュテルス選手と喜びを分かち合った時間は忘れられません。

でもそれ以上に鮮明に残っているのは、17歳で予選を勝ち上がり、初めて本戦のコートに足を踏み入れたときのことです。専門の方が丁寧にケアした芝は、じゅうたんのようにフカフカしていて、今も感触が体に残っている。ずっとあこがれた場所だからこそ、「今、もっているものを出し切りたい」「ここで後悔を残しちゃいけない」と強く思いました。


勝負のカギは「芝が好きか、嫌いか」

「勝ち上がるには、芝への適性と組み合わせが大きく影響する」と松岡
「勝ち上がるには、芝への適性と組み合わせが大きく影響する」と松岡

——まもなく2026年のウィンブルドンが開幕する

松岡: 今の世界トップクラスの選手たちはスター性があるし、僕らの現役時代と比べたら比較にならないほどレベルが上がっています。だから、今、テニスを見ないのはもったいない。ウィンブルドンで戦う姿を通して、きっとなにか感じるものがあると思います。

杉山: ウィンブルドンで勝てるかどうかは、「芝のコートが好きか、嫌いか」に尽きると思います。好きだと結果も出やすくなる。だから、若い選手には「芝が好きになったもん勝ちだよ」と言っています。6月の全仏オープンで4回戦に進出した大坂なおみ選手は勢いがあるので、ウィンブルドンでの進化に期待したいですね。

松岡: 短い大会期間で芝を自分のものにできた選手が勝つ――。そう考えると、なおみさんがウィンブルドンの芝にアジャストできれば、勝ち上がっていく可能性は十分あると思います。期待したいですね。

杉山: 今は私たちの時代よりも芝が硬めに整備されていて、ストロークラリーが続きやすい。ただ、芝のコートは一度後手に回ると、本当にチャンスがなくなる。だからこそ最後まで強気で戦い切ることが、大きなポイントになると思います。


ピンチはチャンス。もがき抜いた先に、トップ10

ウィンブルドンの大会期間中が誕生日だという杉山。「本当にテニスをするために生まれてきました(笑)」
ウィンブルドンの大会期間中が誕生日だという杉山。「本当にテニスをするために生まれてきました(笑)」

——選手時代を振り返って、一番つらかったことと、それをどう乗り越えたか

杉山: 2000年にスランプに陥ったときですね。ダブルスは絶好調だったんですけど、その裏でシングルスは絶不調。しまいには「ボールが怖い」「打ち方が分からない」――そんな状態になってしまいました。

松岡: それは本当につらい。僕はけがしたときが一番つらかったけれど、けがは「しょうがない」って言い訳できるんです。スランプのほうが100倍つらいと思う。

杉山: ランキングがどんどん落ちて怖かった。母に「もうテニスやめたい」と言ったら、「自分のやるべきこと全部やり切ったの?」と言われて。そこで「やり切っていない。そうだ、私逃げていた」と目が覚めました。でも、一歩前に踏み出す方法が見えない。「なにも見えないんだけど、ママには見える?」と聞いたら、母は「見えるわよ」と。それで、母にコーチをお願いしたんです。

25歳からの再スタートでした。心技体がぐちゃぐちゃだったので、すべてをゼロからやり直しました。でも、一番大事だったのは自分と向き合うことでした。ジュニア時代を含めて、大きな壁にぶつかった経験がなかったので、乗り越え方を知らなかったんですよね。自問自答を重ねながら自分なりのベストを積み上げていき、28歳で目標だったトップ10にたどりつくことができました。

松岡: その経験があってのトップ10だった、と。

杉山: そうなんです。それがなかったら、トップ10には絶対入れなかったと思います。ピンチは自分が成長できるターニングポイントなんだと思います。

松岡: 困難にぶち当たったらつらい。でも、そこで得るものは大きいし、あとから振り返ったとき、それが自分の成長につながったと気づける。よりつらい経験をした選手ほど、幸せも多くなる気がしますね。


時を超えて受け継がれる「ウィンブルドン愛」

センターコートに設置されているロレックスのクロック © Rolex/Jon Buckle
センターコートに設置されているロレックスのクロック © Rolex/Jon Buckle

——ロレックスは1978年からウィンブルドンのオフィシャルタイムキーパーを務めている

杉山: あこがれのウィンブルドンに掲げられているロレックスのクロック。ブランドの歴史やたたずまいが、あの空間をいっそう特別なものにしている気がします。

松岡: 電光掲示板にロレックスのロゴマークがあって、選手は必ず時間を見る。その存在に、常に見守られているような感覚がありますよね。

杉山: そうですね、選手は試合中、本当によく時刻を確認します。コートには、時間が常に流れていて、試合と切り離せない存在ですね。

——ウィンブルドンという舞台が、なぜこれほどまでに特別であり続けるのか。

杉山: 大会自体はルールや環境などが進化していますが、選手の「ウィンブルドン愛」や、あこがれというのは100年以上前から変わらないものですね。本当にただのテニスの試合ではない。そして、その空間を作り出しているのは観客の皆さんです。ぜひ一度、現地でその雰囲気を味わっていただきたいですね。観戦しながらストロベリー&クリームやピムス(イギリス生まれのリキュールをベースにしたウィンブルドンの名物ドリンク)を楽しむ、そんなイギリス文化も含めて体験していただけたらと思います。

松岡: ウィンブルドンの芝を含めて、ずっと残っていくものというのはあるんですよ。僕にとっての愛さんも、ジュニア時代に初めて会ったときから全く変わらない。いつも笑顔で、元気なの。「愛」という漢字は、心を受け入れると書く。ミスしても笑って走って。それが世界からも愛された理由だと思うんです。だから、ウィンブルドンという聖地と、愛さんの存在は重なっていく。――それが、僕の中での「ウィンブルドン愛」なんです。


松岡 修造 (まつおか・しゅうぞう)

松岡 修造
(まつおか・しゅうぞう)

1967年、東京都生まれ。10歳で本格的にテニスを始めた。85年単身渡米し、86年プロに転向。95年ウィンブルドン選手権で日本人男子として62年ぶりにベスト8に進み、日本を代表するテニス選手に。98年に現役を引退した後は、ジュニア選手の育成とテニス界の発展に力を注ぐ。2004年からはテレビ朝日『報道ステーション』のスポーツキャスターを務め、独自の熱い応援スタイルで選手たちの内面に迫り続けている。

杉山 愛 (すぎやま・あい)

杉山 愛
(すぎやま・あい)

1975年、神奈川県生まれ。4歳でテニスを始め、17歳でプロの世界に入る。グランドスラムでは、女子ダブルスで3度優勝(2000年全米オープン、03年全仏オープンとウィンブルドン)。混合ダブルスでも1999年の全米オープンを制した。シングルスでは、グランドスラム62大会連続出場の記録を持ち、女子では歴代最多。2009年に現役を引退。2児の母。現在は指導者、解説者としても活躍の幅を広げている。

撮影/山田 英博
ヘア・メーク/大和田 一美、石本 望叶彌
スタイリスト/中原 正登、ミズグチ クミコ


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