長野県千曲(ちくま)市の民家を再利用したデイサービスで所長を務める松木信治さんは、「味噌(みそ)づくりDJ」と書かれた「2枚目の名刺」を持っています。農業やDJとしての活動が、20代で偶然飛び込んだ介護の仕事を、長く楽しみながら続ける支えになってきたと話します。自分の好きなことや、やりたいことを楽しみながら介護に携わってきた松木さんの哲学とは。

まつき・しんじ
1971年、長野市生まれ。介護福祉士。「味噌づくりDJ」。祖母を在宅介護する経験を経て1998年に長野市内の介護老人保健施設の開設スタッフに。同市のサービス付き高齢者向け住宅の責任者を経て、2017年から地域密着型の通所施設「戸倉デイサービスゆいっこ」所長。25年近く続けるDJと農業を介護の仕事にも採り入れている。「ケアカフェながの」代表。千曲市の委託を受けた「生活支援コーディネーター」も務める。 取得資格は介護福祉士、介護支援専門員(ケアマネジャー)。茶道裏千家淡交会会員としても活動。

――長野市の高校を卒業後は、イギリスの大学に留学していたそうですね。

高校時代にイギリスにホームステイした経験があって、海外での大学生活に挑戦してみたいと思ったんです。18歳の時にロンドン近郊の大学に入学して、寮生活を送りながら心理学とコンピューター分野を学びました。

ただ、留学中に祖父が亡くなり、寝たきりだった祖母を家族の誰が介護するのかということで、イギリスにいる間もモヤモヤした感覚がありました。母はまだ仕事をしていたし、祖母の介護のために仕事を辞めた姉も結婚を控えていました。いろいろと考え、まだ何も決まらないまま日本に戻って来ました。いざとなれば自分が祖母の介護をすればいいだろう、といったぐらいの気持ちでした。大学は中退するかたちでしたね。

1991年ごろ、留学先のイギリスの大学の食堂で=本人提供
1991年ごろ、留学先のイギリス・レディング大学の食堂で=本人提供

――それがいつごろですか。

24、 25歳の時でした。最初は介護の仕事を目指しているわけじゃなかったんです。とりあえず寝たきりの祖母のサポートをしようと、何も分からないところからおむつを替えたり、体を拭いたり、いろいろなことをやりながら覚えていく感じでした。

そんな中で、医師や訪問看護師、訪問介護員(ホームヘルパー)、歯科衛生士、病院スタッフ、またショートステイや薬剤管理指導など、さまざまな役割の方がチームで祖母を診てくれている場面を目にして、「こんな仕事があるんだ」と感動したんです。

そんな時、主治医の先生の誘いで病院のアルバイトをしていたら新しい介護老人保健施設の開設スタッフにと声がかかり、関わることになりました。27歳の時でした。

2001年、勤めていた長野市内の介護老人保健施設でのランチビュッフェの風景。当時は、一日約50人が利用するデイケアの職員だった=本人提供
2001年、勤めていた長野市内の介護老人保健施設でのランチビュッフェの風景。当時は、一日約50人が利用するデイケアの職員だった=本人提供

――それが、約25年も介護の仕事を続けておられます。

自分は何をしたらいいのか模索している時期だったんですけど、介護の魅力にじわじわと引きつけられていった感じですね。

20〜30代のうちに働きながら介護福祉士とケアマネジャーの資格を取りました。今は長野県千曲市でデイサービスの所長を務めながら、千曲市の委託事業の生活支援コーディネーターとしても活動しています。それから、介護を元気にする横のつながりをテーマにしたカフェ形式のイベントを開催する「ケアカフェながの」の代表も務めています。

 ――パラレルキャリアですね。

欲張りな性格なので、それこそ介護の仕事だけに絞り切っていない部分があります。先ほど「味噌づくりDJ」の名刺をお渡ししましたが、DJは音楽に夢中だったイギリス留学時代に通ったクラブの経験から、長野で始めました。帰国当時、長野にはクラブや音楽フェスがなかったので、自分たちでカフェやバーを貸し切りにして、機材を持ち込んで、お客さんも集めて、ワンナイトでイベントを開催していました。

介護の仕事を始めた1998年ごろ、長野市内の知人のバーを貸し切りにしてイベントを開催。介護の仕事もDJも始めたばかりで手探り状態だった=本人提供
介護の仕事を始めた1998年ごろ、長野市内の知人のバーを貸し切りにしてイベントを開催。介護の仕事もDJも始めたばかりで手探り状態だった=本人提供

味噌づくりのベースとなる農業も、介護の仕事を始める前から続けています。耕作放棄地を借りて、インターネット上で仲間を募って、最盛期には4反半(約4500平方メートル)ぐらいの畑で農作物を育てて味噌やしょうゆをつくりました。パラレルキャリアという意味で言うと、やりたいことを続けて、介護、DJ、農業の三足のわらじを履きこなしている感じですね。

―― 「味噌づくりDJ」として介護の世界で活動することもあるのですか。

ありますよ。「高齢者ディスコ」や「介護予防ディスコ」というイベントがあって、公民館などを借りて昼間に開催しています。参加者はデイサービスの利用者さんに限らず、地域のお年寄りもいます。私は介護スタッフとしてではなくDJとして企画から携わり、普通のクラブと同じ感じで機材をそろえて本格的にやります。「DJ Matsuki」というプロとして仕事を受けて、その時間はデイサービスの所長職は休ませてもらっています。わくわくするような曲をかけることで、みんな楽しそうに踊るし、元気になるんですよ。

インタビューにこたえる松木信治さん②

―― 素晴らしい活動ですね。味噌づくりのほうはいかがですか。

単純な運動や脳トレなどに代わるリハビリとして、味噌をつくってみましょうというところから始まりました。本格的なつくり方はボランティアの方が教えてくれましたし、デイサービスを利用する高齢者の方はやっぱり人生経験が豊富だから、つくるのがうまいんですよね。リハビリ的な要素も含みつつ、楽しみながら味噌ができるんだからすごくポジティブな取り組みだと感じています。今はコロナもあって休止していますが、以前は原料の大豆から育てていました。今もボランティアさんと作った手づくり野菜をデイサービスの食材に使用していますよ。

――介護を軸にパラレルキャリアをこなしているわけですね。

当初はパラレルキャリアということを全く意識していなかったんですけど、結果的に介護が楽しいと思えるようになったのは、介護には多様なアプローチを受け入れる素地があるからだと感じています。介護は裾野が広いというか、実際にDJ活動も農業も介護に生きている実感があります。ほかにも介護事業所を開放して「バリスタカフェ」を実施して、本格ドリップコーヒーを地域の皆さんに提供したり、裏千家で学んだ茶道の考え方や所作を介護の際に生かしたりしています。

今年からデイサービスを開放して始めた「こども食堂」で、DJ機材を操作してBGMを流す松木さん=2022年8月20日、長野県千曲市
今年からデイサービスを開放して始めた「こども食堂」で、DJ機材を操作してBGMを流す松木さん=2022年8月20日、長野県千曲市

――複数の名刺を持ち、パラレルキャリアを歩んでいるからこそ得られたものはありますか。

いろんな選択肢を持っていると、介護を嫌いにならないんですよ。介護を仕事にしている人って、介護が好きで、誰かの役に立ちたいという心を持っていると思うんですよね。でも、認知症の人の対応や、重度の方の身体介助で疲れてしまい、つらく感じることやストレスがないわけじゃない。

私の場合はDJをやったり農業をやったりすることで、いい気分転換ができていると思います。言い方が合っているか分かりませんが、「デトックス」と呼んでもいいかもしれません。農業もDJもつらいことはありますが、つらさのポイントが違うから、多様性があるほどストレスはなくなると思います。何かの専門家ではないですが、一つの肩書に固執するわけでもない生き方です。いろんなキャリアを持っていたほうが自分ができる介護の幅も広がると思いますね。

――今後、どのようなキャリアパスを描いていますか。

実は「キャリアパス」より「ライフパス」を重視しているんです。生きている間にどれだけいろいろなことを体験できるか、その多様性を高めることに魅力を感じていますし、自分の幅広さが介護の奥行きにもフィードバックされると思っています。

ライフパスの面で言うと、2年前に施設の敷地内の畑でワイン用のブドウを試しに植えてみたんですが、ブドウって植えてから3~5年経たないと実がならないらしいんです。実がなってから搾ってワインにして、本当にいいワインになるまでには、30年も40年もかかるんですよ。ワインづくりのことを教えてくれているフランス人には「自分が飲もうと思って作るんじゃなくて、100年ぐらいかけて自分の孫の世代にやっとものになるくらい時間をかけて作るものなんだよ」と教わりました。自分の孫が生まれた時に、ようやく飲めるイメージでしょうか(笑)。

地域住民を招いた施設のイベントで=2022年8月20日、長野県千曲市
地域住民を招いた施設のイベントで=2022年8月20日、長野県千曲市

すぐに答えが出ないのは介護の世界も同じで、介護されている方が幸せだったか、自分の中できちんと向き合えたのかが分かるまでには一定の時間がかかります。毎日のお風呂やデイサービスでのリハビリは単なる手段で、本当に分かるまでには20年、30年かかるかもしれない。そのぐらいおおらかに介護を取り組めば気が楽ですし、やりがいも持てると思います。

――介護の世界でこれから挑戦したいことはありますか。

まだ構想の段階ですが、介護の労働価値を、従来のお金ではなく仮想通貨のような「トークン」にして、「WEB3(ウェブスリー)」と呼ばれる次世代の分散型ウェブシステムで介護の魅力を発信するコミュニティーを作りたいと考えています。

そのコミュニティーでは、介護を元気にするアイデアを共有したり、介護をしてくれた人への感謝の気持ちをトークンにして贈り合ったりすることで、介護する人のモチベーションを高めたり、再評価につなげます。ゆくゆくはトークンの収入が、良い介護をする人の生活そのものを後押しするように進化すればいいなと考えています。

コロナ禍が続いていて、オンラインやリモートで交流する機会が増えました。また、介護の魅力は「感謝」や「慈しみ」ですが、それらはもともと目に見えないものです。介護の思い、笑顔、感謝の気持ちをどうやって「言語化」するか「価値化」するかは介護の世界の大きなテーマだと思っています。

インタビューにこたえる松木信治さん①

――学生時代に学んだエンジニアリングの発想が生きていますね。介護の仕事をもっと面白くしたいという思いを感じます。

介護ってつらい仕事のように思われているかもしれないですが、「いいところ探し」の素晴らしい職業なんですよ。リハビリもそうですが、「足腰が丈夫ですね」とか「農業についてすごくいろいろと知っているんですね」とか、いいところを見つけてあげる繰り返しという点が介護の魅力なんだと感じています。そのためには、利用者さんの人生のいろんな側面を同時に見ていくことが必要なので、いろんな分野にふれるパラレルキャリアは介護に向いていると思います。

1本の軸だけでやっていくと、多分その軸が折れた時に心まで折れてしまう可能性が高い。でも、パラレルキャリアだと柱が複数あるので、一つが折れても、また違う柱が活動を支えてくれて、何かやっているうちに折れた柱が元に戻ってくる。精神的にも、経済的にも、です。

介護の仕事はこれから増えていくし、国際化も進んでいくと思います。介護の世界を目指している方には、私のように、どちらが「大・小」「主・副」かを決めずに、パラレルに働く選択肢もあることを知ってほしいですね。

取材協力/高瀬 比左子

*本事業は、「令和4年度介護のしごと魅力発信等事業(情報発信事業)」(実施主体:朝日新聞社・厚生労働省補助事業)として実施しています。

これからのKAIGO~「自分にできる」がきっと見つかる~
介護のしごとに関連する情報を発信するポータルサイト
これからのKAIGO~「自分にできる」がきっと見つかる~」はこちらからご覧ください。

シリーズ【40歳からのLIFE SHIFT 「自分でできるがきっとみつかる」】の他の記事はこちら。

40代で美容師と写真家に、50代で起業 介護の仕事との出会いが私を変えた

20年勤めたアパレル業界から転身 「福祉のデザイナー」目指す思い

様々な職を経て出会った介護の仕事 最後まで豊かに生ききる支援をしたい

人の役に立ち喜んでもらえる仕事 介護とカイロプラクティックで実現