調剤薬局の事務職だった照沼弘子さんが介護職のキャリアをスタートさせたのは約15年前。勤め先の人事異動がきっかけでした。異動からわずか3カ月で施設の責任者を任され最初は戸惑いますが、「人のために役に立ちたい」という思いを抱いてきた照沼さんは、ほどなく介護は自分に向いている仕事だと感じたと言います。現在は、ケアマネジャーと地域との連携推進役を担う照沼さんに、これまでのキャリアや仕事のやりがい、本業の傍ら始めたパラレルキャリアについて伺いました。
照沼弘子(てるぬま・ひろこ)さん
1958年、茨城県生まれ。介護福祉士。茨城県を中心に調剤薬局や介護事業を展開する会社が運営する水戸市の「トータルケアサービス ヘルサ」で地域連携室室長とケアマネジャー(介護支援専門員)を務める。認知症予防の周知や啓発活動、民間の資格取得にも積極的で、シナプソロジーインストラクター、カイロプラクター、きらめき認知症シスター、バランスコーディネーションインストラクターとしても活動。
――介護の仕事に就く前は、もともとは調剤薬局の事務職だったそうですね。
そうですね。窓口業務だったり、経理だったり、総務だったりと事務全般をやっていました。9年くらい勤めたあと、勤め先の会社が介護事業も本格的に手がけるようになったんです。会社の事業拡大をきっかけに社内の異動で、現在も働いている居宅介護支援事業所のある「トータルケアサービス ヘルサ」で生活相談員を務めることになりました。
――事務職から介護の仕事という転身に、戸惑いはなかったですか。
介護はゼロからのスタートだったので、大変さがなかったわけではありません。ただ、前任の施設長から学ぶ部分は少なくなかったですね。ほかの介護施設のケアマネジャーさんと接する機会もあったので、ケアマネジャーさんがどのように利用者さんと接しているのかをじっくり見て勉強しました。
――生活相談員から施設長へ、急な転身でしたね。
まず、施設長をするにしても、自分に何の資格もないのでは周りに対する説得力がないだろうというのは感じました。施設のスタッフは介護福祉士の資格保有率がすごく高くて、当時の私には介護の知識がほとんどなかったので、最初は正直、怖かったですね。施設長として何か朝礼で言うにしても、的外れなことを言ってしまうのではと恐る恐るといった感じでした。ですから、すぐに勉強を始めて、異動から約3年後にまず介護福祉士の資格を取りました。ケアマネジャーの資格を取るまでにはさらに3年くらいかかりましたが、その間に私と介護の仕事は合っているのかもしれないという実感が強まっていました。
――どういった点が自分に合っていると感じたのでしょう?
以前から「人のために役に立つ」ということが自分の中の一つの芯としてあって、そこが人と密接に関わる介護の仕事に向いているんだと思います。
認知症になると何も分からなくなると言う人もいますけれど、新たな関係でも心が通ったりするんです。たとえば、認知症の方は、本当はご飯を食べたのに「今日はまだご飯を食べてないよ」といった感じで、何度も同じことを言うケースがあるんです。そこで「もう食べましたよ」と強く否定するようなことはせず、いったん受け入れてあげることで気持ちが収まってきて、逆にその方から「ありがとうね」と言っていただく場面もあって、そういう時は本当にうれしいです。興奮してしまったケースでも、穏やかに話を聞いてあげたり、手や背中をさすってあげたりすると落ち着いていって、本来の人格に近づいていく。その瞬間に立ち会えるのもやりがいの一つだと思っています。
――今、照沼さんは勤め先ではどのような立場なのですか。
約5年前から地域連携室室長を務めていて、2021年の11月からはケアマネジャーも兼務しています。介護の世界にいる時間は長いんですが、実はケアマネジャーの仕事をするのは今回が初めてなんです。居宅のケアマネジャーの場合、利用者さんの自宅を訪問して、その方に合ったケアプランやサービスを組み立てるんですが、今まで以上に利用者さんと近い位置にいる感じがして、利用者さんの生活の質が改善されるのを間近で見られる喜びを感じています。その方の状況に応じて看護師や介護福祉士などの多職種の専門職がチームで連携して支援するので、施設長として介護スタッフをマネジメントしていた経験が役立っています。
――ケアマネジャーとして特に意識していることはありますか。
長い間、介護の世界に携わってきて、それぞれの方の人生の最期に関わる介護という仕事はとても大事なものなんだと身に染みて感じています。極端に言えば、介護に関わる人によって、その方が送る残りの人生も変わってくると思っています。ですから、ご本人やご家族の思いを尊重しながらケアプランを立てるように意識しています。その方の困りごとを解決できて、少しでも介護される前に近い生活ができたらいいなという思いは強いですね。
――地域連携室室長としては、どのような活動を行っているのですか。
地域連携室は、地域に貢献できるような役割としてできた部署なので、地域のほかの事業所さんとの連携を含めて、顔の見える関係をどんどん広げていくことを第一の目的にしています。連携が広くつながってくると、「あそこの事業者さんの、あの人にお願いしたいな」とすぐに思い浮かぶメリットがあります。そういう意味では施設長の時から築いてきたネットワークが生かされているのかなと思います。
もともと「施設と地域」「利用者さんと地域」を結びつけたいという思いは強くて、社長の「認知症カフェをやろう」の一声に背中を押され、2016年には施設の現在の結いの空ルームで月1回の「認知症カフェ」を立ち上げました。認知症の方とそのご家族、医療介護の専門職、地域住民のみなさんにご利用いただくもので、ご家族同士で介護の大変さを共有して、気が楽になる部分もあるようです。そのほか、今年の7月から毎月、朝採れ野菜を販売したりワークショップを開いたりする「マルシェ」を開いたり、レンタルスペースとして貸し出したりして、地域の方が気軽に立ち寄れる場所になっています。
ほかにも、認知症の方やそのご家族、支援者や地域の人が1本のタスキをつないでゴールをめざすリレーマラソン「RUN伴(ランとも)」がその一例で、実行委員に参加しています。
――介護や認知症について地域の方に正しく知ってほしいという思いがあるのでしょうか。
そうなんです。一般的に、認知症になるとどうしても特別扱いみたいになりがちですよね。でも、認知症になっても歩んできた人生が消えるわけではないし、その人という存在は変わらないんです。記憶できないというようなことや、すぐに忘れてしまうことが出てきてしまいますけれど、その人はやっぱり社会で生きていますし、人格は尊重されるべきだと考えています。認知症になっても暮らしやすい地域になるようにという思いがあって、私たちの事業所が所属している水戸市南部第一高齢者支援センターを中心に、認知症の方に対する認識を世間一般の人に深めてもらうようなイベントを行っています。同時に2つ以上のことをやって、脳を活性化するプログラム「シナプソロジー」のインストラクター資格を取ったのも、認知症の利用者さんが少しでも刺激を受けて、生活がしやすくなればと思ってのことです。
――ケアマネジャーとして充実した時間を過ごせているんですね。
おかげさまで充実していますね。室長やケアマネジャーとしてはカイロプラクターの民間資格も生きていると感じています。
カイロプラクティックは、施設長を10年勤めた2017年ごろ、体験会を通じて偶然、知りました。私自身は別に不調なところがあったわけではないけれど、職員は腰痛に悩む人が多いので、施術で少しでも楽になってもらえればと思って勉強しました。施設の中庭で行う「マルシェ」で一般のお客さまに向けて施術することもあります。
利用者さんに施術したり、ケアプランに入れたりすることは難しいですが、体の悩みを打ち明けられた時に「じゃあ、こうしたらどうですか」と助言ができるし、むくみで悩んでおられたらお手持ちのクリームでマッサージしてあげたり、むくみ改善の方法などを教えて差し上げたりして、その方の憂鬱な気分が少しでも晴れるお手伝いはできるのかなと思っています。
今では、介護の仕事と関係なく、親類や知人、口コミで知ってくださった方に向けて有償で施術を行っています。コロナ禍の前は、近隣の特別養護老人ホーム内のカフェのレンタルスペースを借りていたこともあります。本業もあるので、それほど頻繁にはできませんが、介護に近い部分があって、痛みだったり、ゆがみだったりっていうのが改善されて、その方が動きやすくなって喜んでいただけると、うれしいなと思いますね。一時的でも楽になって「良かったよ」と言っていただいたり、施術前は曲げられかった手が「あら、できたわ」となったり。最近は、改めて、私はやっぱり人のためになることに生きがいを感じるんだなと思っているところです。
――生きがいがあるというのはとてもいいことだと思います。どんな人が介護の仕事に向いていると照沼さんは考えますか。
そうですね。これから介護の世界をめざす方もいると思いますが、やりがいを持って続けていくのに一番大切なのは、人を好きなことだと伝えたいです。人が好きだと、その人を一人の人間として受け入れられますし、人を敬う気持ちで接することが幸せな気持ちで最期を迎えられる介護につながっていくはずです。
あとは、介護は人の生活に関わる仕事なので、決まったことがほとんどないんですね。自分で答えを見つけないといけないし、臨機応変さがある人のほうが向いているのかなと思います。同じ人でもとても機嫌がいい日があれば、すごく不機嫌な日もあります。状況に応じた柔軟性が大切ですし、時と場面に合わせた対応で喜んでもらえると、「この仕事を選んでよかったな」と感じられると思います。私自身、親や大切な身近な方が介護を必要になった時に、介護の経験が生かされたことが多々ありました。「介護に携わっていてよかった」と心から思います。
取材協力/高瀬 比左子
*本事業は、「令和4年度介護のしごと魅力発信等事業(情報発信事業)」(実施主体:朝日新聞社・厚生労働省補助事業)として実施しています。
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