生まれ故郷の栃木県小山(おやま)市で社会福祉士事務所を開いている鈴木隆浩さんは、長年携わった介護福祉の世界から一度離れたことがあります。その1年半ほどの間は、学習塾講師というまったく違う世界に身を置いていました。現在は、社会福祉士のほかにケアマネジャー、障害がある人たちの就労支援を行う事業所の管理者や、そうした人たちに働く場を提供する農業法人の役員など複数の肩書を持ち、フットワーク軽く活動しています。「やってきたことは全部、生きている」と話す鈴木さんのこれまでと、目指す福祉のあり方を聞きました。

すずき・たかひろ
1979年、栃木県小山市生まれ。社会福祉士事務所「りれいと」運営。障害がある人たちの就労をサポートする就労継続支援A型事業所「ビューコリック」管理者と、同事業所の運営法人「きづ菜」専務取締役、関連会社の農地取得適格法人「のうらく」取締役を務める。大学の理工学部を卒業後、一般企業に就職するが1年ほどで退職し、福祉系専門学校に入り直した。その後、社会福祉法人、医療法人、NPO法人、株式会社、行政、学習塾など様々な立場を経験。他業種連携を進めて福祉の裾野を広げる取り組み「Oyama de 未来カフェ」主宰。社会福祉士と介護支援専門員(ケアマネジャー)の資格を持つ。

――故郷の栃木県小山市で、社会福祉士事務所を運営していらっしゃいますね。

2022年2月の開設からまだ1年ほどですが、「介護の窓口」を作るという構想は約10年前から温めていました。社会福祉士は様々な分野に関わっていけるのが強みです。社会福祉士の資格を最大限に生かすには何がいいだろうと考えた結果、高齢者や障害者、児童などのいろいろな相談窓口に「横串」を刺して、ワンストップでいろいろな相談ができる窓口ができたらいいなと思ったのがきっかけでした。

鈴木隆浩さん(本文1枚目)

――「幅広く相談に乗れる」というのは介護福祉の世界における鈴木さんの経験値が高いからだと思います。キャリアのスタートはどんな感じだったのでしょうか。

大学の理工学部を卒業して、福祉とは関係のない一般企業に就職したんです。それがどうもしっくりこないなと感じているうちにスキーで転んでけがをしてしまって。そこで有休を取って休んでいる間に「このままでいいのかな」と今後について悩んでいると、親から「介護の仕事」を勧められました。当時は若かったし、深く考えていたわけではないのですが、高齢化社会では介護のニーズも増えるだろうと、会社を辞めて専門学校に通い始めました。2003年のことでした。

――専門学校で学んだことで今も生きていることは何ですか。

心に刻んでいるのは、「ソーシャルワーカーは、ネットワークとフットワークだ」という先生の言葉です。このことは今も常に意識していますね。腰が重かったら、この仕事は続きません。また、福祉に「つながっていない人」をつなげるには、自分自身がネットワークという「引き出し」をいっぱい持っていないといけないし、福祉の枠にとらわれずに、ネットワークをさらにつなげて業界を超えた部分でつながりを持っていないと、介護や福祉は充実していかないだろうなと実感しています。

――専門学校を卒業した後は、介護福祉の現場で経験を積まれました。

2005年に専門学校を卒業して地元の社会福祉法人に就職しました。8年ほど勤める間に、身体障害者療護施設や小規模多機能型居宅介護、デイサービス、特別養護老人ホームなど、いろいろな現場を経験しました。その間に社会福祉士とケアマネジャーの資格を取りました。そして、現場レベルでのさまざまな経験がケアプランの提案に生かせると考え、ケアマネジャーとして働ける株式会社の居宅介護支援事業所に転職しました。ケアマネジャーをやると、いろいろなところをつなげていく必要があり、特に医療業界とは強いつながりができました。

現在の社会福祉士事務所の「介護の窓口になる」という構想が浮かんだのも、この頃です。社会福祉法人に勤めた経験から、利用者の方が相談できる場所がない、もっと言えば、施設などにつながっていない人で、潜在的に相談できる窓口が必要な人は多いだろうなという思いが根本にありました。その後、在宅医療を手がける医療法人に引き抜かれる形で転職しました。

鈴木隆浩さん(本文2枚目)
ネットワーク作りの一環で、介護や福祉について様々な業種の人が自由に語り合う「未来をつくるkaigoカフェ」に初めて参加した当時の鈴木さん。構想を温め始めていた「介護の窓口」についても発表した=2013年3月頃撮影、本人提供

――この頃、福祉介護の仕事を離れて、まったく異業種の学習塾講師に転職したそうですね。

パンクしちゃったというか、少し疲れた部分がありました。介護の世界からより広いソーシャルワークの仕事がしたいと思って医療法人に転職しましたが、病院の外よりも中の仕事がどんどん多くなって、結局やりたいことができなくなっていった面もありました。医療法人で出会った人たちは、今でも強いネットワークとして残っていますし、栄養士さんをはじめ医療業界にいたからこそできたつながりもあったと感謝しているのですが。

そんな時、妻の知人が経営する学習塾に講師の欠員が出て困っているというので、転職を決めました。介護業界が閉鎖的に思えたし、一度、外に出ることで本来のニーズを把握しやすくなるかもしれないと考えました。小中学生を相手に理科と数学を教えて、戻るつもりはあまりなかったんですが、1年半ほどたって収入面を補うためにケアハウスで夜勤のアルバイトを始めました。

鈴木隆浩さん(本文3枚目)

――久しぶりに介護の現場に戻ってみて、どうでしたか。

介護の現場自体は5、6年ぶりだったんですが、すごく楽しかったんです。ケアハウスには、基本的には自立度の高い高齢者の方が入居しているのですが、入居後に認知症になられて寝たきりの人もいました。現場しか知らなかった頃とは自分の対応の仕方が変わっていたんです。

いろいろ学んできて自分の中に「引き出し」ができているので、視野が明らかに広がって「こうした方がいいな」と読めるし、分かる。それが面白みにつながっていったと思います。自分が対応したことで、くもっていた入居者さんの顔が晴れる。その人の個性に合わせて対応するだけでこんなに変わるのか、と気づかされました。

同じ頃に、小山市役所の仕事で非常勤のケアマネジメント指導員を始めました。指導員としてケアプランを点検していると、最初は「懐かしいなあ」と感慨深かったんですが、「こういうプランだったら、自分ならこうするな」という思いが強まってきました。「やっぱり介護福祉の仕事をやりたいんだな」とぽろりと妻にこぼしたら、「そりゃそうよ。あなたはケアマネをやっている時が一番光ってた」と言われて。「じゃあ戻らなきゃ!」と思って居宅介護を手がける株式会社に再就職しました。社会福祉士事務所を立ち上げた現在も、非常勤でケアマネジャーを続けています。

――何足ものわらじを履いて、忙しいですね。

どれもこれもやりたくてやっているところもあるので、忙しいと感じることはあまりないですね。最近、築いてきたネットワークがつながっていく瞬間がすごく増えてきました。つながりがつながりを呼んでというところが、モチベーションになり、やりがいにもなっているように思いますね。充実していると思います。

小山市のコミュニティーFM「おーラジ」で福祉について語る番組も持っている鈴木さん(写真右)=2023年2月撮影、本人提供
小山市のコミュニティーFM「おーラジ」で福祉について語る番組も持っている鈴木さん(写真右)=2023年2月撮影、本人提供

――介護福祉の世界に転職を考えているミドル層にどんなことを伝えたいですか。

いろいろな業界に言えることだと思いますが、介護福祉業界に入る前に、外の世界を見てから来た方が絶対、面白いことできると思います。中学高校で学ぶことは基礎的な内容ですし、そこから専門学校に行くと、その業界のことしか学ばない状態で仕事をスタートさせることになります。そうすると本当に外の世界が見えなくなる。様々な背景を持つ利用者さんと話が通じなくなります。ですから、一つ一つ自ら経験していくことは大きな強みになります。

例えば子育てをしていて、子どもを通して見る世の中と、自分だけで見る世の中は違うし、子育てを終えて見える世の中もたぶん違うと思います。いま要介護状態になっている高齢者の方は、これまでにそこを通ってきた経験者でもあるわけで、それを考えれば、子育てについてその方と対等な立場で話ができます。介護の世界を離れて見えたものを還元できるチャンスはたくさんあると思います。

ですから、異業種からのキャリアチェンジは大歓迎です。異業種で培ってきた知見なり、人脈なりを介護の世界に生かせる可能性が大いにあります。ミドル層の転職も喜ばれると思いますよ。人生経験が長いほうが人と向き合う際の寛容さとか柔軟さがあるはずで、そうしたしなやかさは円滑な介護福祉に不可欠です。

株式会社「のうらく」の畑でサツマイモを収穫する鈴木さん=2022年10月頃撮影、本人提供
株式会社「のうらく」の畑でサツマイモを収穫する鈴木さん=2022年10月頃撮影、本人提供

――これからの抱負を教えてください。

運営する社会福祉士事務所では、今後は「企業向け介護コンサルタント」としての業務も広げていきたいと思っています。多くの企業に家族の介護の悩みを抱えた社員がいて、介護離職の問題も起きています。企業の「介護の窓口」になって、現役世代の社員の相談に乗ったり、適切な施設につないだりといった活動をしつつ、高齢者と農業、福祉介護サービスと民間企業、就労支援施設とキャリアチェンジを考えている人材などを結びつけるネットワークの「ハブ」のような存在に成長させたいと思っています。

鈴木隆浩さん(本文4枚目)

介護福祉は閉じた世界になりがちです。でも、一度離れたことでより客観的に、より広い視野で見られるようになりました。ネットワークの大事さも実感しています。私がいま関わっている「農・福・商」連携の事業もそうですが、充実した介護福祉には広がりが絶対に必要です。

企業も巻き込み、多くの人に理解を深めてもらいながら、広がりのある介護福祉を追求していきたいですね。

取材協力/高瀬 比左子

*本事業は、「令和4年度介護のしごと魅力発信等事業(情報発信事業)」(実施主体:朝日新聞社・厚生労働省補助事業)として実施しています。

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