自由をモットーとする京大らしい研究機関
中国出身、米国で博士号を取得した王丹准教授。「京大には、世界トップレベルの研究ができる環境が整っています」と話す
京都大学は、日本の大学で最も多くの研究所を持ち、附属研究所と研究センターあわせて20ある。王丹(おうたん)特定拠点准教授が所属する、京都大学高等研究院物質―細胞統合システム拠点(iCeMS)もその一つだ。
iCeMSがめざすのは、生命の謎を探究するとともに、生命現象にヒントを得た優れた材料を創出することだ。その研究には、細胞生物学、生物物理学、材料科学など5分野の研究者たちが携わっている。このiCeMSを王准教授は「極めて刺激的な研究空間」と表現する。さまざまな分野から優秀な研究者が集い、思いのままにディスカッションを繰り広げている。
「自由な環境の中で、私たちは世界中の90%の研究者が気づいていない10%の未知の世界の解明に取り組んでいます。自分とは異なる分野の研究者の話は刺激に満ちていて、日々、思考の枠が広がる実感があります」
知性を育む脳内のネットワーク
王准教授の専門は神経科学。人間の知性や精神が形成されるメカニズムを解き明かすため、日夜研究に没頭している。
ヒトの脳には約1000億の神経細胞があり、これがシナプスと呼ばれる接合部でつながり、複雑で巨大なネットワークを形成している。そのつながり方は五感で受ける刺激に応じて常に書き換えられている。
「学習や経験によってシナプスのネットワークのつながり方が変わることで、知性が培われていくのです。接続に何らかの異常が起きるとアルツハイマー病などの神経変性疾患を引き起こすケースもあります」
脳のダイナミズムを突き止める
iCeMSには世界各国から優秀な若手研究者が集う
では、神経細胞のネットワークはどのように形成されるのだろうか。
「神経細胞は外部からの刺激に応じて、ネットワークのつながり方を変えます。そのカギを握るのがRNAです。刺激を受けると細胞のDNAが特定のタンパク質を作る指示を出します。この指示がRNAにコピーされ、細胞の樹状突起という部分に届けられてタンパク質が作られる。このタンパク質により樹状突起の一部が変形して他の細胞とつながり、新たなネットワークが形成されるのです」
王准教授は、学習とシナプスの関係性について、2009年に科学誌の最高峰である米「Science」で発表。15年には、生きたマウスの脳内で、RNAの一連の動きを可視化することに世界で初めて成功した。
ただ、タンパク質によって樹状突起が変化するだけでは、複雑な外的状況に応じた接続ができない。研究の結果、王准教授は、RNAが酵素によって化学的に変化することでシナプスに多様な遺伝子が発現し、脳内ネットワークが必要に応じた形でつながることを突き止めた。
この研究成果は先月、英「Nature Neuroscience」オンライン版で取り上げられたばかり。こうしたシナプス接続のメカニズム解明は、精神疾患の治療の一助になると期待されている。
因果関係を解明する それが基礎研究の役割
中国・瀋陽(しんよう)生まれの王准教授はテレビで映画「伊豆の踊子」を観たことで、日本に興味を持った。
「外国人がほとんどいない環境で生まれ育って、まったく見たことのない文化に衝撃を受けました。それで日本語を勉強しだしたんです」
やがて奨学金を得て来日。医師の家系に生まれたこともあり、もともと関心のあった生命科学の道に進むため、東京工業大学に入学した。同大学院で修士まで学び、米国に研究拠点を移して博士号を取得。その後、理化学研究所を経て、京大に招かれた。
王准教授は基礎研究の意義を、次のように語る。
「いまAI(人工知能)が急速に発達する中、因果関係を問い詰める基礎研究の重要性を再認識しています。AIが教えてくれるのは、たとえば脳内の特定のネットワークに異常があると、ある病気を発症するといった相関関係にとどまります。人間では発見できないような相関関係を教えてくれるAIはもちろん重要です。ただし相関関係で可能なのは未来予測まで。基礎研究により因果関係を突き止めることができれば、脳内ネットワーク異常が発病につながるメカニズムを解明できる。そうすれば、治療の可能性が出てきます」
優れた研究は、人類の未来を変える力を持つのだ。

