ストーリー

元ホームレス中学生、慶応病院の看護師を経て こども万博で世界へ

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中島隆
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 4月のはじめ、東京駅ちかくのカフェで、彼女と会った。大阪で初めて話を聞いてから1年半ぶりの再会だ。

 たしか……、

 東京で看護師をしていたけれど、お子さんが3人になった。東京で広い部屋を借りるのは家賃が高いので、思い切って神戸に引っ越した……

 でしたよね。神出鬼没、さすがです。

 「わたし、マレーシアに移住しました」

 えっ、まじっすか。

 手塚麻里さん、41歳。子どもたちに夢を語ってもらい、職業体験をしてもらう。そんな「こども万博」と名づけたイベントを、この3年あまり、日本各地で40回ほど開催、あわせて10万人を呼び込んできた。

 そんな手塚さんにとっての「東京」。それは、夢をつかんだ場所。そして、今まさに、壮大な夢への扉を開こうとしている場所である。

 横浜で育ち、中高一貫の私立校に進む。看護師になる夢をいだいた。

 中学3年の秋。父が詐欺事件にまきこまれ、母と兄とで夜逃げ。手塚さんは校長に退学を申し出た。校長は言った。

 「高校卒業まで、無償で通いなさい。ただし、条件があります」

 あなたの次の世代の子どもたちに何かすること。それが条件だった。

 母は働き詰め。兄は奨学金をとろうと猛勉中。足手まといになりたくなくて手塚さんは……

 ホームレスになった。

 友だちの家に居候させてもらったり、公園やビルを転々としたり。家族3人、ほぼバラバラに過ごした。

 最大のカロリー源は、学校での昼食タイム。級友たちがものすごい量のお弁当を持ってくる。「こんなに食べられないから、麻里、食べて」

 夜は、公園で水をガブ飲みして空腹をまぎらわす。ホームレスのおっちゃんが、パンを分けてくれたことがあった。

 高校2年になって、母や兄と暮らすことができた。母は言った。「ごめんね、大学に行かせられなくて」

 わたしの夢はつづいている。それを母に知ってもらいたくて、手塚さんは慶応大の看護医療学部を受験した。ろくに勉強していなかったので、とうぜん、落ちた。

 高校を卒業して、バイト、バ…

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