「市民科学者」を標榜(ひょうぼう)し、日本の脱原発運動をシンクタンクとして支えてきた市民団体「原子力資料情報室」が設立から50年を迎えた。その間、世界最悪クラスの東京電力福島第一原発事故が起きたが、エネルギー危機を背景に日本政府は原発回帰に突き進む。いまこそ政策論争が求められている。
1970年3月の大阪万博の開会式に日本初の軽水炉である日本原子力発電敦賀原発1号機(福井県)から電気が送られた。間もなく各地で原発の運転が本格的に始まった。そんな黎明(れいめい)期にあたる75年9月、原子力資料情報室が発足した。
初代代表は、理論物理学者の武谷三男氏(故人)。原子力利用の3原則(民主・自主・公開)を提唱した一人で、ノーベル物理学賞受賞者の湯川秀樹博士(故人)の共同研究者としても知られる。核化学の研究者だった高木仁三郎さん(2000年に死去)が実務を担う世話人となり、後に代表を務める。
当時、地方の反原発運動が反核・平和運動の全国組織とつながり、電力消費地も巻き込みつつあった。その中で、情報室は原発推進の政府や産業界から独立した立場で専門的な支援を担った。
いま、スタッフは10人。月刊の情報冊子は今年9月に615号を数えた。最近は講座などの動画をユーチューブで配信したり、ニュースをSNSで伝えたりもしている。
初期から参加する共同代表の西尾漠さん(78)は「活動の節目や広がりは、残念ながらみんな事故だった」と振り返る。
「やはり起きた事故」
特に印象的だったのが197…
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隠岐さや香東京大学教育学研究科教授=科学史視点重要な記事。科学と社会が関わる問題においては、単純に一つの方向性が正しいとみなすのは危うい。原子力発電のように、巨額の国家投資とそれに伴う利権が絡むテクノロジーなら尚更である。だから電力会社や政府ではなく、市民の声と向き合おうとした科学者が
2025年9月29日 18:36










































