
不安は「知る」ことで解消される
自身の将来やお金に関して不安を抱えている人は少なくないと思います。昔とは異なり、今の時代は、右肩上がりで経済が成長するわけではありませんし、年金2000万円問題など不安要素だらけです。では、昭和の時代には、皆が前向きで楽観的だったのかというと、決してそうではありません。
かつて1950年代から1960年代にかけて、高度成長に伴う極端な労働力不足に対応するため、毎年、春になると地方の中学や高校を卒業した若者が、就職のため夜行列車で集団で上京するという光景が見られました(集団就職)。彼らは金の卵と呼ばれており、当時の若者たちは将来に大きな夢を抱いていたとよく喧伝されています(今の時代と比較して夢があった当時はよい時代だったと結論付けられることがほとんどです)。
しかし、現実は大きく異なります。当時の新聞を見ると、近い将来、不況がやってきて人が余り、集団就職で上京してきた若者は大変なことになるという論調がほとんどでした。実際にはその後、未曽有の好景気が続き、彼らは豊かな生活を送ることができましたから結果的にはハッピーだったかもしれません。しかし、当時の雰囲気は悲観的であり、決して夢に溢れていたわけではないのです。
結局のところ、人はいつの時代においても不安を抱えるものであり、時代によってそれほど大きな違いはないと考えた方がよさそうです。もしそうなのだとすると、将来について過度に不安視するよりも、何が怖いのか、少し整理した方がむしろ不安の解消につながるのではないでしょうか。というのも不安心理のほとんどは「よく知らない」ことが原因となっているからです。
貯金はまさにその典型といってよいものでしょう。
貯金をすることは良いことですから、推奨されるべきことではありますが、中には貯金そのものが目的になっている人もいます。そのような人に「なぜ貯金に励むのですか」と聞くと、たいていの場合、将来が不安だからと答えます。しかし不安の内容について具体的に質問すると、「病気や老後とか……」など、かなり曖昧になってきます。さらに病気になった場合、具体的にいくらお金がかかるのですかと聞くと、ほとんどの人が「分かりません」と回答するはずです。

将来、かかるかもしれない病気を今から予測することはできませんが、少なくともお金に関して言えば、ある程度の見通しを立てることができます。日本は幸いにして国民皆保険制度が整備されていますから、基本的に医療費は3割の自己負担で済みます。制度による補助はそれだけではありません。
高額療養費制度という仕組みがあり、重篤な病気など、自己負担金額が一定額を超えるケースでは、その分も制度から補助されます。がんの治療には高額な医療費がかかると言われていますが、仮にがんになっても、支払った治療費のほとんどが返ってきますから、実質的な負担は限りなく小さいのです。
その間、病院での食事代といった出費はありますし、フリーランスの場合には入院中、仕事ができなくなりますから、相応の支出はかさみますが、治療費についてはほとんどお金がかからないということはよく知っておいた方がよいでしょう。100万円程度の貯金さえあれば、たいていの病気には対処できますから、病気の心配を理由にむやみに貯金するというのはあまり意味のあることではないのです。
この事実を知っているのと知っていないのとでは、病気に対する不安はかなり変わってくるのではないでしょうか。もちろん病気になること自体が嫌なことですから、その不安はなくなりませんが、付随する経済的な不安の多くは解消されるのではないかと思います。
このようにして、ひとつひとつ過度な不安要素を取り除いていくと、お金に対する気持ちがラクになり、結果として生活にも余裕がでてきます。これまで過度な不安が理由で貯蓄していた分については、自分への投資や株式投資などに回してみるのもよいでしょう。
過度な貯金をしている人の中には、ある事柄については強く心配しているにもかかわらず、別のことには無頓着だったりする人がいます。現在、日本はデフレだと言われていますが、それは思ったより物価が上がらないという意味であって、物価そのものは毎年、着実に上昇しています。実際、皆さんの生活は、給料が上がらず、モノの値段ばかり上がって、苦しくなっているのではないでしょうか。
物価が上がることをインフレと呼びますが、インフレが進んでいる時に貯金は大敵です。モノの値段が2倍になってしまえば、同じ値段で買えるモノの量が半分に減ります。インフレ時には、貯金をしているだけで損するわけで、心配性の人は、こうした時にも貯金に励み、逆に資産額を減らしてしまいます。
せっかく将来の不安に対処するために貯金をしても、逆効果となっているわけですが、過度に貯金好きな人はなぜかこの点についてあまり関心を寄せません。
心配することは、物事を堅実に進める原動力ですから、基本的にはよいことですが、心配のし過ぎは逆に弊害が多いのです。